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なぜ「青春小説」が必要なのか

執筆中に浮かんでくる不安

 僕はこれまでおもに吹奏楽をテーマにした書籍を執筆してきました。当初はドキュメンタリー書籍が多かったですが、徐々に事実をもとにしたノンフィクションノベルへ以降し、近著の『空とラッパと小倉トースト』『いちゅんどー!西原高校マーチングバンド 〜沖縄の高校がマーチング世界一になった話〜』では(モデルとする学校はありますが)オリジナルの小説を執筆しました。

愛知工業大学名電高校吹奏楽部をモデルにした小説『空とラッパと小倉トースト』(オザワ部長・著/Gakken)

 中学時代から漠然と「文字を書く仕事をしたい」と思うようになり、大学では文芸専修というところで小説の実作を学びました(英語で言うところのクリエイティブ・ライティング・コース)。

 当時はバリバリの純文学志向で、音楽にたとえるなら現代音楽のような作品を書いていましたが、吹奏楽というテーマに出会ったときに、「読者には中高生の割合が多くなるかもしれない」「読書が趣味ではない人たちも読んでくれるかもしれない」「吹奏楽をまったく知らない人たちにも伝わるように書きたい」という思いから、小説(あるいは、ノンフィクションノベルなど)の味わいを失わないレベルで「読みやすさ」を常に考えながら執筆するようになりました。

 さて、特に小説を執筆していると、様々な思い——特に不安が頭をよぎります。

 その中のひとつが「大人にとっても青春小説は必要なものなのだろうか」ということです。

 僕がいままで書いてきたものは、吹奏楽やマーチングといった部活動を舞台にした作品で、広義のジャンル分けでは「青春小説」「青春(部活)もの」といったことになるでしょう。

 現役の中高生にすれば、「青春小説」はまさに自分がいま経験していることとリンクしながら、共感を持って読むことができるでしょう。物語のおもしろさを味わうだけでなく、毎日生活していく上での何らかの示唆や励ましを得たり、自分の生き方やあり方を考えたりすることができると思います。

 では、大人にとってはどうなのか?

 毎日仕事に追われ、学生時代と比べものにならないシビアな状況を経験し、私生活のことも考えなければいけない。読書といっても、自己啓発書やビジネス書を読むことが多いでしょう。

 そんな大人に「青春小説」は必要でしょうか?

 作者としては、もちろん大人の読者にも読んでもらいたいのですが、どのように伝えるべきなのかがわからず、それが執筆中の不安にもつながっていました(不安はほかにも「淀みに浮かぶうたかた」のごとく、たくさん浮かんでは消えていくのですが)。

市船・高橋健一先生が教えてくれたこと

 僕は仕事柄、日本中の高校の吹奏楽部に取材や打ち合わせで行くことがあります(もちろん、中学校や大学、大人の楽団、プロの楽団、場合によっては小学校に行くこともあります)。

 先日、サッカー部など運動部の活動でも有名な千葉県の市立船橋高校(市船)へ行きました。

 市船の吹奏楽部の顧問を務める高橋健一先生はいわゆる「名物顧問」で、テレビなどに取り上げられたことも多く、市船の実話をもとにした映画『20歳のソウル』では佐藤浩市さんが高橋先生役を演じました。

 高橋先生は吹奏楽部の顧問で、指導も指揮もしていますが、担当教科は国語です。常に、情熱と愛に満ちた「言葉」で部員たちを引っ張ってきました。

 市船へは打ち合わせをしに伺ったのですが、ちょっとした空き時間に高橋先生と雑談(という名の吹奏楽談義)をしていました。

 そのとき、先生がこんな話をしてくれたのです。

 先生はすでに還暦を過ぎているのですが、仕事をリタイアした友人たちが何をしているかというと、青春時代にやっていたことを長いブランクを経て再開しているそうなのです。

 青春時代にやっていたことは自分が本当に好きなことであり、それは一生変わずに心の中に残っている、と先生は感じました。

 それで、学校から「卒業アルバムの表紙に使う言葉を考えてほしい」と依頼されたとき、こう書いて提出したそうです。

“青春は一瞬で一生"

 僕はその言葉と高橋先生の語ってくれたエピソードを知り、自分が探していた答えがここにあったと思いました。

青春は一瞬で一生

 部活でも趣味でも習い事でも勉強でも何でもいいのですが、青春時代に取り組んでいたことは、それによって金を稼ぐとか有名になるとかいう欲・実益などがないだけに、純粋に好きなもの、大切なものなのかもしれません。

 そうして、その人の根本的な性格や人間性が変わらないように、好きなもの、大切なものも一生変わらない。だから、リタイアした高橋先生の友人たちは改めて青春時代にやっていたことを再開したのでしょう。

 それを高橋先生は「青春は一瞬で一生」という言葉で表現されたのだと思います。青春はあっという間に過ぎていってしまうけれど、青春は自分の心の中のコアの部分に一生あり続ける、と。

 働き盛りの大人は、往々にして仕事や私生活に視野や思考を奪われがちですが、必ず胸の奥底には「青春」がしまい込まれているのです。そして、それこそが自分自身というものの正体かもしれない……。

 迷ったとき、悩んだとき、どん詰まりに追い込まれたとき、裏切られ騙されたとき、見捨てられたとき、重大な選択や判断を迫られたとき……。自分の中にある「青春」が方向を示してくれるのではないでしょうか。

 そして、「青春小説」は、自分の中にある「青春」を思い起こさせてくれるもの。自己啓発書やビジネス書などと違って直接的に仕事に関連する内容ではないですが、自分を根底から支え、自分の進むべき道を教えてくれるもの。
 だから、必要なのです。だから、僕はそれを書くのです。書きたいと思うのです。

 もちろん、様々な青春小説の読み方はあっていいと思いますし、これが誰にとっても正解であるとは思いませんが、少なくとも僕の執筆活動の迷いは振り払ってくれました(ほかにも迷い、不安はたくさんありますが)。

 僕の作品を読んで、自分の心の中のコアを再認識したり、生きていく上で大切なものに気づいたりする大人の読者が増えてくれたらとても嬉しいです。

 書いているうちに青春小説の別の意義も頭に浮かんできましたが、それはまた別の機会に——。

小説『いちゅんどー!西原高校マーチングバンド 〜沖縄の高校がマーチング世界一になった話〜』(オザワ部長・著/新紀元社)

 


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