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あの記憶とある歌 〜リフレインが叫んでる〜
今書いている小説に淡路島が出てくるので、この頃、10代のことを思い出す。
中学1年の半年間だけ、私は淡路島にある私立の学校に通っていた。当時も今も、私の実家は堺市である。なぜ半年間だったかというと、通学困難なので学校から転校したほうがいいと勧められたからだった。
淡路島への通学は、13歳にとって毎日がトライアスロンのようで。南海本線という電車に50分ほど乗って(途中で単線に乗り換えもする)、深日港から高速艇で30分、さらに淡路島の洲本港に着いてから自転車で20分自転車を漕いで、なんだかんだ2時間強。
当時、その高速艇は2時間に1本しかなかったものだから、乗り遅れたら2時間待ちぼうけ。帰りの4時の高速艇は死守で、ホームルームを中抜けすることもしょっちゅう。逃したら帰宅は8時前になってしまうから。朝は5時に起きなくてはならないので、10時には寝たい。8時帰宅となると、ご飯を食べてお風呂に入るだけで、まったく自由時間がないという、そういう生活。
宿題なんて当然する時間もなく、成績はスカイダイビング状態で落下。大雨や大風が吹いたら欠航なので学校には行けない。もうね、当然ですよ。学校が転校を勧めてくるのも無理はなかった。っていうか、なんて親切な学校だったことか。
島での学校生活は短いなりにも楽しい思い出しかない。とてもいい学校だったな。校庭が広くて、休み時間になったら、みんなと裏山にいってサトウキビをかじって空腹をなぐさめた。島の子たちは慣れたものだったが、私には新鮮だった。
高速艇のおじさんたちも待合室にあるお土産屋のおばさんたちも、信じられないくらい親切だった。過去のエッセイでも書いたことがあるが、わざわざ大阪から島へ通ってくるレアすぎる私を不憫に思ってか、本当によくしていただたもので、ここで挙げきれないほどのありがたエピソードがあるのだが、
たとえば高速艇に乗り遅れた私が波止場から、
「待ってーーーーーー!!!」
と叫んだら、汽笛を鳴らして戻ってきてくれたことがあったり。戻ってきたところ乗せてもらったら、お客さんたちも嫌な顔をせず、乗れてよかったねーと拍手してくれたり。
そして、私の特等席は、操縦席。おじさんが操縦しながら今日の海の状態を教えてくれつつ、お菓子をくれつつ。
お土産のおばさんは土曜の昼にはお弁当を作ってもってきてくれた。縁もゆかりもない、ただ船通学しているというだけの子に、わざわざお弁当を作ってくれるなんて、どんだけ優しいんだ。私が転校する時には餞別に土産屋で売っている高級な達磨をくれたのだ。ちょっと、びっくりするくらい温かくないですか?
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そんな高速艇で通学した日々を、ちょいちょい、今思い出していると、当時通学時に聴いていた音楽がBGMみたいに流れてくる。
10代から20代にかけて聴いた音楽は、どうしてこうも記憶に刻まれているのだろうか。それほどまでに、若い頃の感受性というのは凄まじいということかな。
その頃はウォークマンですよ。ウォークマンを知らない方に説明しておくと、カセットテープというC Dより前の音楽録音媒体なるものを再生する機器といえば伝わるかしら。
カセットテープに好きな音楽を録音したオリジナルテープを聴いていた。自分で作ったものもあれば、姉が作ってくれたものを聴くこともあった。
一番よく聴いていたテープには、爆風スランプの『大きな玉ねぎの下』や米米クラブの『浪漫飛行』が入っていたような。サザンの『真夏の果実』とかも。
その中でも、なぜかはっきりと覚えているのが、ユーミンの『リフレインが叫んでる』なのだ。
とくにユーミンの大ファンだったわけでもないのだけど、飛ぶように海の上を進んでいく高速艇の窓から見た海の景色を蘇らせると、かならずBGMで流れてくる。
言わずと知れた名曲、切なすぎるラブソング。すごく愛し合った二人なのに、別れてしまった。壊れるくらい愛してたのに、優しくできないこともあって、二度と会えないような別離を果たし、それでも付き纏い続ける、深い後悔。
中学1年なんて、その歌詞の意味のどれくらい理解していたのか。
「そんなに好きだったのに、なんで別れたんだろう?」
と不思議に思いながら聴いていたような気もする。この歌詞には、別れた理由が描かれていないから。
ただ、メロディーの切実さとドラマティックさに若き私の感受性は揺さぶられ続けて、その余韻はたえることのない海の波のごとし、もうすっかり感受性も枯渇している40代の私をも揺さぶってくれる。すごいことだ。
凪の海、大しけでグリッキーになって眺めた海。
あの頃の海を思い出すと、流れてくるユーミンの歌声。
その懐かしい歌を蘇らせながら、
引き返してみるわ、ひとつ前のカーブまで。
そこに、あの頃の私がいるような気がして。