価値発揮ってなんだ?
いろんな世間一般で言う“大人たち”に関わることが多い人生になってきた。
働き方と言うのは、同世代の話題の中で
切っても切れない存在なのだと感じる。
「最近どう?」という言葉はつい自分も言ってしまうが
学生時代は果たして何をあんなに語り合っていたんだろう?
とおかしくなってしまうこともある。
あの頃は、ね。
「今の仕事に満足していない」
私に相談してきた人がいた。
やるか、やらないか。
私の中で
「やらないなら、やるな」
「やるなら、やれ」
という気持ちがある。
例えば、誰でもできるコピー取り「お願いね」と頼まれた。
「別に誰でもできる、なんで私が!」と思うならば、やらなかったら良い。ブツブツ言うくらいならやらなければ良いのだ。
だって他にもたくさんできる人がいるのだから。
でも、私は実はやるタイプ。だって「それは自分にしかできない仕事」だから。
コピーをとるってなんだろう。
どの場面で使うのだろう。
人数は何人だろう。
ホチキス留めは?
そもそも、コピーをとること自体を求めているわけじゃ無いかもしれない!笑
考えて価値発揮すること。
そうすれば絶対にどんなことも「自分だけの仕事」にできる。
一旦、やってみろ。そう思えないのならば、やらなければ良い。
名前の無い仕事は辛い。
「おいおい、そんな簡単に言うなよ」と言うヤツは置いていく。それは言い訳にしかならない。
“感情”でしか動けない。
どうして楽しく無いんだろう。どうしてつまんないんだろう。
人生なんて大きなものを愛さなくても良いから、自分が死なないのならば楽しくいきたい。
実はそのモヤモヤのきっかけなんて、“自分自身”
でしかない。
人間が最初に受け取るのはどんなことも“感情”からだ。
実は 最初は真実なんて何も受け取っていない。
感情で会話をしていると盛り上がったり、喧嘩になったり、突っ走ったり。
シンプルなこともどんどんややこしく見えてしまうし、振り返ればなんてこと無いものに何時間も悩む。
まず、どんな人も感情で会話を受け止めていることを理解したい。
そう考えると、その人が今取っている行動は、その人の膨大な選択肢の中から瞬時に選択した最善の回答であると、判るのだ。
私のベストではなくても、相手のベスト。
相手の立場に立って物事を考えられる人は本当にすごいなあ。と最近思うし、私もそんな人になりたい。
だから感情ばかりのとらわれてしまうことはとても勿体無い。
つまらないと思うのならばなんでつまらないんだろうということもちゃんと考えてみよう。
そして、自分だけの仕事にしてみよう。
できないのならばやらなくて良い。
みんな誰しも、「登場人物Bなんかには、なりたくない」。