「時間も距離も超える方法」
2018/8/10 音楽に疎くとも伝わるものがある
(写真は、ショパンが使用したピアノである。)
今日は金曜日、世間の人々が待ちに待った日である。TGIF!
しかし、私と言えば例に漏れず、パソコンの画面と睨めっこをしつつ、ノルマが捗らないことを嘆いていた。そこで、気晴らしにショパンの音楽を流した。
◆◆◆
私が何を聴こうと世界が変わる訳ではない。しかし、私を取り巻く空間は次の瞬間変貌を遂げた。
◆◆◆
味気なく言えば、ただショパンの音楽が流れる部屋である。
大げさに言えば、国を超え、時代を超えた音楽に支配された空間である。
◆◆◆
少し残念なことに、その音源はパソコンである。生演奏ではない。
私は考えた。このピアノを演奏しているのはショパンではない。しかし、これを作曲したのはショパンである。言うまでもなく、私とショパンは生きた国も時代も違う。意思疎通に用いる言語も違う。それでも音楽を通じて伝わるものがあり、心を揺さぶられる。
◆◆◆
私は、ワインもクラシックも好きであるが詳しくない。しかし、「好きであるためには詳しくあるべきである」とも思わない。勿論、知ることでその真の意味を知ることができようとも、知らなくても心の奥底まで届くものはある。それを知るのは後からでも構わないのではないか。
私も、その背景を知ることに対して無関心な訳ではないので、いつか学び直したいとは思う。
そう言えば、前述のノルマはどうなったのであったか。明日、悩もう。
◆◆◆
演奏者の方にも敬意を払いつつ、ショパン博物館に赴いた思い出とともに。
ここまでご覧頂いただきまして誠にありがとうございます。 大事なお時間に少々の笑顔をお届けできれば幸いです。