「iPadを置きペンと紙を手に取った」
2018/9/14 ペーパーレス原理主義者から併存的ペーパーレス推進主義者へ
私は機械に疎いが、「歯車が狂い始めた」という表現には違和感を覚える。歯車が噛み合わなければ、良いところ停止、下手をすれば破損するのではないか。
ところで、我が日々は「ボタンを掛け違えたような状態」と言えよう。
実際にシャツのボタンを掛け違えると、気付いた時には大変恥ずかしい思いをする。むしろ、気付かないまま脱ぐことができればどれだけ幸いであろうことか。いずれにせよ、最近は、いつもどこか間が悪く、何をやっても上手くいかない。こうなったら、一度立ち止まって、ひとつひとつ問題を解決しなくてはならない。顔から火が出る思いでシャツのボタンを掛け直すかのように。
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とりあえず、今抱えている問題をA4用紙に展開してみた。
ここで前提を述べると、私はペーパーレス原理主義者であった。
「ペンで紙にメモを取る、なんて環境保護の時代にそぐわない!ペーパーレス化の潮流に反する!」「今や、紙の一枚も持たずに国を跨げるエアラインもあるというのに!」「ペンが剣よりも強い時代は終焉を遂げた!」と。それは何故か。いつでもiPadに残した方が手っ取り早いし、データを共有しやすいものと信じて疑わなかったからである。
例えば電車の中。iPhoneやiPadを取り出しメモを残そうとも、誰も違和感を持たない。しかし、紙を広げてメモを残すためには、まず座らなくてはならない。いずれにしても、揺れるのであるから書き難い。
場所によっては、紙は圧倒的に不利であり、この事実は揺るぎまい。
ところが、色々と思い詰めた私が藁にも縋るつもりでテーブルの上にA4用紙を広げてみたところ、この思想を改めざるを得なくなった。
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まず、A4用紙は私のiPadよりも表面積が広い。広いから伸び伸びと書ける。そして、思い付くままに書ける。矢印もメモも、考えるよりも先に書ける。図も文字も、自由自在である。これは多分、私のiPadの習熟度の問題ではなく、純然たる紙の利点であろう。
そして、気付けば、私が書き殴った使用済みA4用紙が瞬く間に量産されていった。私はペーパーレス原理主義者ではなかったのか。しかし、紙に相当の利点があることに気付いた以上、それを認めざるを得ない。調達しておいた薄型バインダーも役に立った。
このオレンジ色の羽のようなものを閉めると、紙が固定される。便利すぎて早くも厚くなってきたので、そろそろ買い足さなければならない。
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私は、少なくともiPadよりも表面積が広い紙に対しては、一定の譲歩は止むを得ないものと確信した。認めるべきところは認めざるを得ない。
結局のところ、思考を具体化するためには何があろうとも手を止めてはならないのである。そのための媒体が紙であろうと電子機器であろうと、どちらでも関係ない。いずれも、目的を実現するための手段なのである。無益な拘りを持ち続ければ、いつか大切な発想を取りこぼしてしまうことになろう。
私はペーパーレス原理主義者から併存的ペーパーレス推進主義者に転向することにした。
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極めて頑固な我が頭のためにここに繰り返そう。
「目的を成就させたければ手段には拘り過ぎない方がいい。」
我が頑固頭よ、確と心得よ。