「予感」
2018/9/17 フンワリして、掴みどころのない話
今、私の頭が痛いのは、秋が到来したからである、と思う。
この「と思う。」は、大変使い勝手の良い言葉である。
ところで、何かを「予感」するとき、その背後には自らの言葉で説明するには至らない程度の根拠が存在している(と思う。)。
私の頭が痛いのは、風邪を引いたのかも知れないし、それ以外の何かが原因であるのかも知れない。しかし、例年の傾向からすれば「秋の到来」と考えるのが最も経験則に近い。
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ところで先日、我が生活圏において数匹の巨大カエルに遭遇し、大変驚かされた。普段、たった一匹のカエルさえ見掛けない我が生活圏におけるこの出来事は、何か予感めいたものを抱くに十分なものであった。
まず考えたのは、最近における自然環境の変化である。しかし、これは専門外であるので、先に私自身の変化に着眼し理由付けを試みた。
「もしかしたら、我が生活圏は元々巨大カエルと共存していたが、今まではそのことに気付いていなかっただけであり、最近は観察力が向上したため、それに気付けるようになったのではないか」
これは、私が自らに対し与え得る、最も前向きな評価である。
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話の行き着く先がおぼろげになってきたところで、この文書の趣意を述べると、「予感した原因を辿ると、その先に繋がる何かに気付けるのではないか」ということである。万事、原因と向き合った方が身のためである。
ここまでご覧頂いただきまして誠にありがとうございます。 大事なお時間に少々の笑顔をお届けできれば幸いです。