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「エストニアに行った時の話」

 2018/10/4 約3年前のこの時期のこと

 最近、エストニアに関する記事を目にした。3年前のこの時期、エストニアを訪れたので、その時の思い出話をすることとしたい。

[エストニアについて]
・バルト三国を構成する。
・エストニアの首都はタリンである。
・言語は主にエストニア語を使用する。
・通過はユーロである。
・人口約132万人(2017年1月現在)
・IT立国として知られている。
・日本からの直行便はない。

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1 渡航について
 3年前の秋、ヘルシンキにホテルを手配し、到着翌日に、フェリーでエストニアの首都タリンへ向かった。目的は観光である。ヘルシンキの港からタリンへは、フェリーで概ね2時間弱で到着する。この旅行の拠点であるヘルシンキからは、日帰り圏内である。早朝に出発し、夜間に戻った。

 エストニアは、学生の頃より行ってみたい国であった。
 当時、私が海外旅行をするときは、
①人と被らないこと、
②所要時間15時間程度かつ予算20万円以内(総額)で行けること、
③中世の雰囲気に浸れること、
④非英語圏であること
を基準として、目的地を選んでいた。

 ④について付言すると、極力現地の言葉に敬意を払い、現地の言葉で挨拶を交わすことに重きを置いていたためである。

 上記基準からエストニアを検討したが、諸条件を総合的に勘案したところ、当時の私は別の国を選び、それを学生時代最後の旅行とした。成就したのは就職後である。

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2 ヘルシンキからタリンまでの移動
 この時、交通網が発達したヘルシンキの中心部にホテルを手配していたため、ホテルのすぐ近くで港に向かうトラムに乗ることができた。ヘルシンキ到着翌日の時差ぼけと寝不足の中、まだ暗い街でトラムに乗り込み、間も無くすると港に辿り着いた。

 フェリー乗り場は、郊外の空港のような雰囲気であり、ほんのりと薄暗いものの、比較的清潔な印象を持った。なお、チケットはあらかじめ日本でインターネット購入を済ませておいた。
 
 フェリーは想像以上に巨大であった。船内に入ると、そこが船内であることを忘れさせるほどに施設が充実しており、まるで動くショッピングモールのようであった。勿論、デッキから景色を楽しむこともできた。

 あの時見た夜明けのバルト海は無類の美しさであった。

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3 タリン到着、そして散策
 船旅を楽しんだ後、いよいよ憧れた街に到着した。港から少し歩くと、間も無くして旧市街地の入り口であり、多くのガイドブック等で取り上げられる「ふとっちょマルガレータ」と呼ばれる砲塔が目に飛び込んできた。ここから、いよいよ中世の世界が始まる。

 早速、歴史の重圧感が漂う旧市街地の緊張感に圧倒された。冒険心を持ちながら坂の上へと歩を進めた。

 私はとりあえず歩き回り、どこに何があるのかを一通り見回した。歩けば歩いただけ感動が飛び込んでくる。観光地的な賑わいは限定的であり、まるで中世の世界に迷い込んだようで、ただ歩いているだけでも退屈しなかった。

 そして、教会や公園を巡り、いよいよ高台に辿り着いた。そこから見渡す景色は何と絶景であろうか。小さくも非常に美しい街である。なお、ここに辿り着くまでに、数人の日本人とすれ違った。日本からの渡航者は数字上決して多くないが、人口密度が低いので、日本人がいるとすぐに気がつく。これは意外であった。

 なお、この時期は日が高くまで上がらないので、常に低いところから鋭角な日差しを受ける。正午でも夕方のようであった。

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4 食事とおやつ
 この後、旧市庁舎前の広場に面したお店で昼食をとった。

 「このお店、明らかに高い!とりあえず、ビールは美味しいし、ロケーションにお金を払ったと理解しよう。」

 食事については、ガイドブックに従うべきであった。普段は、飲食店はガイドブックは読まずに現地を歩いて決めるが、ここではガイドブックを信じるべきであった。

 なお、エストニアのビールについては定評がある。安くて美味である、と。聴くところによると、フィンランド人が週末に買い出しに来るそうである。ちなみに、私が飲んだビールは、穀物のような素朴な膨らみとともに力強い味わいが特徴的なものであり、確かに美味であった。ただ、日本の一大派閥である「スーパードライ派」の方々の口には合わないと思う。
 
 その後、伝統ある人気の洋菓子店で食べたケーキは絶品であり、今でも忘れられない。

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5 新市街地を経て帰路へ

 その後は、下町を通り、歴史的な城壁などを見て回った後、新市街地へと向かった。 

 新市街地は特段変わったところはない。ショッピングセンターに入り、エストニアの国旗をモチーフにしたチョコレート菓子をお土産に購入した。これが安い。

 買物を済ませた後は、日も暮れてきたのでヘルシンキへ戻るため港へ向かった。日没後のタリンは、更に空気が重々しくなる。

 港にはフェリーの出港時刻よりも大分早く着いてしまい、長らくベンチに腰掛けていたところ、警察官からパスポートの提示を求められた。どこの国でも警察官は横柄なイメージがあったが、決してそのような態度ではなく、礼儀正しかったので、安心して対応できた。

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6 フェリーの中で思い返す
 帰りのフェリーでは、空いている席に腰掛け、一日を思い返した。
 非常に充実した一日であった。タリンだけを観光するのであれば、一日である程度を見て回ることができる。小さな街でありながら、その歴史が街中に凝縮されている。

 タリンでは、小売店における食料品等の物価は基本的に安価であると感じた。しかし、外食やお土産物など観光客向けに価格設定されているところも目立ち、二重価格のように乖離していた。

 ここがIT立国であることは随所で窺えた。また、新旧市街地を中心に歩いた限り、利便性の高さは感じたものの、少しばかり薄暗い(日照時間の問題だけではなく)印象を受けたため、仮に「一生住めるか」と問われれば、私には難しいかも知れない。ヘルシンキに到着した時、真っ先に「(物価以外は)住み良さそう」と感じたことと対極的である。

 しかし、このような表現では些か軽く聞こえてしまうかも知れないが、魅力溢れる街であることに相違はない。

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 最後になるが、日本からタリンへ行くためには、Finnairを利用しヘルシンキを拠点とすると、そこから日帰りで観光することができるし、非常に見応えがある街であるので、多少の余裕をもって北欧方面を旅行される際は、ここを一つの候補地として提案したい。

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OZAWA Tomoaki
ここまでご覧頂いただきまして誠にありがとうございます。 大事なお時間に少々の笑顔をお届けできれば幸いです。