「時は金よりも価値がある」
2018/7/31 分岐点を迎えて
本日、新卒より勤めてきた職場を離れた。ただそれだけのことであるが、今日は、私の人生の分岐点となるに相違ない。これはワインを開ける良き口実である。
最後の出勤時、周囲は温かかった。真夏であっても、冷ややかであるよりは温かい方が嬉しい。多少無理をしたこともあったが、全て報われたように感じた。笑顔で終えられればそれで十分であろう。「振り返っている時間はない」とまでは思わないが、既に過去の話である。
私の自由意思で身の振り方を決することができたというのは、それだけで利点であると言えよう。私は、安定的な収入を放棄する代わりに、当面の間ではあるが、自由に使える時間を得たのである。
時間とお金は等価ではない。
どれだけのお金を積んでも自らの時間は買えない。有限希少な時間を、僅かばかりであっても追加的に確保することができたというのは、それだけで大きな意義を有することであろうと思う。
やりたいことは山積みである。しかしながら、この機会をもって、あれもこれもと学ぼうとするには、あまりに時間が足りない。したがって、これからの日々も取捨選択の連続である。今日、このようにして一つの選択をしたが、目の前には次の選択が迫っている。悠長に過ごしている時間はない。
私は、この判断を悔いるかも知れない。しかし、仮に辞めない道を選んでいたとしたら、それはそれで悔いを残していたのではないか。何れにしても、思い立ったその瞬間に動かなければ、もはや自由意志で動く機会を逸してしまうことになろう。いつかそのことを悔やむより、今決断する方がずっと良い。
私が目指した先は、狭き門か、広き門か。
私は、単に不向きな世界から逃げ出したように見えなくもない。しかし、数年過ごした世界に不向きを感じるのであれば、自ら新たな場所を求めた方が気持ちが良いし、何より社会にも寄与できよう。生きている以上、社会とは関わり続けたい。
新たなスタートが良きものとなるよう願いを込めて、7月最後の日記とする。