母の爪 〈 お母さん、あのね 第2話 〉
母の爪が苦手だった。
縦に筋がたくさんあって、
大雑把に切った爪はあたるといつも痛かった。
ささくれもたくさんあったと思う。
母の手は、幸せそうに見えなかった。
みるたびに、なんだか悲しくなった。
美意識がどう、とかではなくてただ
「いつも忙しく、いつも機嫌が悪い」
母の存在が、その爪と重なっていたのかもしれない。
そんなことを今でも覚えているのは、
私が母に怒られている時いつも
母の顔ではなく、手を見ていたからだと思う。
私も大人になり出産するまでは
いつもお店で綺麗にしてもらっていたけれど
子どもが生まれてからはそれどころではなくて、
「爪を綺麗にする」優先順位は100番目くらい。
いつしか手入れしなくなった手は
30代半ばになって急に母の手に似てきた。
そんな自分の手も、いつしか好きではなくなっていた。
見るたびに「あぁ、母の手に似てきちゃった」と見ないふりをする。
でもある時友人の結婚式に参列するために
私は久しぶりにネイルのケアをしてもらった。
甘皮の処理をしてもらってやすりで丁寧に整えて、
表面もピカピカになった爪は、爪の形どころか手そのものがふっくらとして見違えるほどに若返った。丁寧にケアしてあげたら、こんなに柔らかく、
丸みのある優しい手になるものかと。
爪を磨いただけなのに。
こんなに優しく扱ってもらったのは、いつぶりだろう。
自分を大切に扱うって、こういう感覚なのか。
そこでふと思った。
私は、母にもっと自分を大切にして欲しかったのかもしれない。
もっと、綺麗でいてほしかったのかもしれない。
もっと、笑っていてほしかっただけなのかもしれない。
いつも忙しそうで いつも怒っていて
いつも母の爪が気になって仕方なかったけれど
そう思うのは、
私が母のことが大好きだったから
かもしれない。
一緒に入るお風呂ではいつも母は優しい顔をしていた気がする。
よくタオルでタオルクラゲを作ってくれた
母の洋服の匂いもすごくすごく好きだった
休日に母がコーヒーを飲みながら、ゆっくり新聞を読んでいる姿が好きだった
母の爪が苦手だったのは
私が母を苦手だったのではなくて
母にもっと自分を大切にしてほしいという気持ちが
幼い頃からの私の心にふかく ふかく
願いとしてあったからなのかもしれない
そんな風に思ったら、
お母さんに似てきた私の手が、突然愛おしく感じた。
私はあれから、贅沢だけど、
お店で爪を大切にケアしてもらっている。
母の爪はいまだに変わっていない。
今度の誕生日に母にネイルのケアをプレゼントしてみよう。
そう。だから今、言いたいことがあるの。
お母さん、あのね。
もっと自分のことを、大切にしていいんだよ。
おわり
エッセイ【お母さん、あのね】
私と母の紡いできた親子の関係を、透明な気持ちで紐解いていくエッセイです。
小さい頃からずっと抱いてきたこじれた母への感情を、受け止め、癒し、母への本音を見つけるために書いています。私と同じように、母親との関係に苦しんできた方にそっと届いてくれることを願って。そして、いつか母へ、このエッセイを贈ります。