おゆみ

本音ぽろりを拾う占い師の頭と心の中。

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本音ぽろりを拾う占い師の頭と心の中。

最近の記事

優しさの連鎖を。

絶望的な状況がほんわか幸せな気持ちに繋がった出来事があった。 5さい、3さい、1さい1ヶ月のこども3人を連れて フードコートに行ったときのお話。 私が上2人を連れてお店に注文し、 席取りしていた場所に戻ると。 これから三男にあげる予定の ミルクの粉がはいった哺乳瓶が 床に落ちて粉が散らばっていた。 夫がミルクを作ろうとしたら 抱っこしていた三男が手で倒してしまったそうな。 お腹空いて機嫌の悪いこどもたち こぼれたミルク 絶望的な状況である。 しかし そばにいたは人

    • 投資は楽しい!

      なぜ私がお金のお話し会をしようと思ったのか。 投資を初めて15年。 ここ数年?昔よりも投資が普及してきたように思う。 インスタなどのsnsでも投資についての 投稿も沢山みかけるようになった。 友人から 「投資をはじめたいけど分からないから教えてほしい」 「iDeCoやNISAってどうやるの?銘柄の選び方は?」 と声をかけてもらうことも増えた。 話を聞いていると多いのは ・将来のお金が不安だから投資をしたい ・iDeCoやNISAをするといいと聞いた ・でもやり方がわか

      • 【フリーランス辞めます。】

        おゆみ、フリーランス辞めます! 占いでお金をいただきはじめて2年。 開業して1年少し。 フリーランス辞めます。 会社員に戻り、 趣味&副業として占いを続けていきます。 会社員になる1番の理由は、 大好きな占いを、お金を稼ぐメインの手段にすることをやめたかったから。 稼ごうと思うと好きが消えてしまいそうになったから。 そして欲しいものがありお金が大きく欲しいから。 そのためにいま自分のできることで社会に貢献して お金をもらおう、と思ったのです。 好きを仕事に。 好きなこ

        • 楽しかったーーー!って思える人生を。

          【あなたの趣味はなんですか?】 昔はこの質問が苦手だった。 趣味というと何か人より秀でてないと いけない気がして自信をもって言えなかったり。 いまは、趣味は私が好きであればそれでよし!と 思ってます。 なぜ趣味の話をしたかというと。 先日、ありまさん著の 『うちの母は今日も大安』という本を読み。 この本の中でお母様の 歴代の習い事や趣味がリスト化されていました。 私はどうだろと思い 書き出してみたのです。 ●習い事 20代 お料理教室、お菓子教室、パン教室、 産

          生きてるって感じる日々。

          毎日毎分が 有意義で生産性のある やりたいことやることやるべきこと さくさくこなす日々だったら。 と思ったことがある。 そしたら、余白が生まれて どんどんレベルアップするのかなぁって。 、 でも最近 お仕事をまったりモードにして 家事もそこそこに 赤ちゃんとごろごろしたり 朝寝したり 漫画読んだり お昼寝したり 掃除したり そのときやりたいように 過ごしてみた。 . 有意義さとか生産性とは かけ離れた生活。 余白、といえば余白。 というか計画性ゼロの日々。 でも、

          生きてるって感じる日々。

          やりたくないことやめてみた。

          やりたくないことやめてみたお話。 やりたいことやってるはずなのに。 やりたいことが沢山あってやりきれない。 全部やろうとするとひーこら。 自分のやりたい優先してたら 体調崩して旦那に怒られる。 やりたいことやってるはずなのに しんどいってなぜだろう。 やりたくないことリストをつくる。 やりたいことリストはあるので。 やりたくないことリストつくりました。 ・休日ひとりでこども3人みる ・夜の授乳 ・風呂水使っての洗濯 ・毎日ご飯つくること ・保育園の係関係 このあ

          やりたくないことやめてみた。

          好きなお店がつぶれた。

          6年間コーヒー豆を買っていたお店が閉店した。 理由はわからない。 そのコーヒー店は ちょっと変わった店主がやっていた。 コーヒーが大好きで何十種類ものコーヒーの中からお客さんに合わせたおすすめを教えてくれる。 そして住んでいる地域の水質に合わせて、焙煎を変え、コーヒーの抽出温度などもアドバイスしてくれる。 こだわり屋の店主であった。 もちろんコーヒーは美味しい。 なのに豆が安い。 家からも近いし、 某おかいものサイトからも買える。 夫婦でお気に入りのお店だった。

          好きなお店がつぶれた。

          リウマチになって、ほっとした。

          リウマチだと分かったとき私はほっとした。 診断された時思ったのは 「これで仕事を辞める正当な理由ができた。」 リウマチは体の関節が炎症して腫れて、 痛みを伴い、骨が変形し戻らなくなり、 体が思うように動かなくなるかもしれない病気だ。 なのに、私はリウマチになって、ほっとした。 辞めたいと口に出すことすらできなかった 仕事を辞めれた。 一年ほどずっと辞めたい、でも、と悩んでいた。 土日祝大型連休やすみ 時短勤務 ときどき在宅勤務可 こどもの体調不良時の融通がきく それ

          リウマチになって、ほっとした。

          こどもがいるからできない。

          信頼する人からモーニングページを勧められた。 (モーニングページとは、朝起きてすぐ、 3ページノートに考えていることを書き出すというジャーナリング。) その時、私は思った。 一人暮らしだから。 こどもがいないから。 時間に縛られない仕事だから。 だから、 できるんじゃないのか? と。 私は こどもがいるからできない。 早起きしてもこどもも起きてくるから ノートをゆっくり書けない。 こどもの世話や家事があるから 朝起きてすぐ、時間なんて取れない。 はてしかし。

          こどもがいるからできない。

          どうありたいか、どうしたいか、どうするのか。

          時間の使い方上手だよねとか 時間どうやって作ってるの? と最近よく聞かれる。 上手というより、 やりたいことを明確にして やりたいことを周りの人に伝えて 時間を作る協力をしてもらってるからだ。 後はやれない事はもちろん やりたくても優先順位の低いものは 手放している。 いま、私はどうありたいか どうしたいのかどうするのか、 日々問い続けてる。 時々、 自分の時間! やりたいんだ! となって 自分の健康、 家族の事を 後回しにしてしまう。 そして引き戻しに合う。

          どうありたいか、どうしたいか、どうするのか。

          【プロテクトするから敵となる】

          ぎゅっと力を入れてないと いきなり来るものを受け止められない、 と思ってた。 いきなり来るもの、とは 自分を脅かすもの。 いつでも自分を守れるように ぐっと力を入れてた。 でもね、 力を抜いてほわんとしていても 大丈夫だった。 むしろ、 力が入っていない分 来るものを受けかわせる。 全部受け止める必要もなかったのだ。 そして、 何も私を脅かすものなどないのだ。 私が脅かすものだと思って プロテクトするから 敵を作っていたのかも。 それらは 私とやり方は違えど

          【プロテクトするから敵となる】

          違和感あるならスルーすんな

          占いにしても からだのメンテナンスにしても 何のサービスにしても どの占術とか どんな手技や方法なのか とかよりも "誰から受けとるか" というのが 大事だと感じる。 結局、ひと、なんだよな。 その人から聴きたいか その人とエネルギー交換したい そこ。 方法はなんでもいいんだよ。 この人から受けたいか。 そこ、違和感あるなら スルーするのやめよ。 スルーすんなー。 ではまたね。

          違和感あるならスルーすんな

          好きなことをして生きる私の生活は、夫の犠牲の上にあるのか?

          とふと思った。 最近、ゆったり過ごして毎日が楽しい。 しかしながら、 夫が働いてるからこそ 私が好きなことをして 自由に生きている。 のではないか。 と思った。 なぜなら、 占いでもらうお金は生活を支えるほどのものはなく、ほぼ夫の給料で生活しているから。 ありがたい。 とは思うものの。 もしや夫は本当は 働きたくなんてなくて したいことがあって、 でも生活のために 仕方なく働いてるのだとしたら? 最近夫が 「農業で稼ぐ」「農家になる」的な 本をよく読んでる。 こ

          好きなことをして生きる私の生活は、夫の犠牲の上にあるのか?

          ”点数”は私の価値なのか

          占いの先生、ユウキさんとのお話の中で気づいたこと。 私のアイデンティティはいまだに ”点数”に重きが置かれていた ということ。 親の愛をうまく受け取れないこども時代を送った。 小学生はテストの点数。 中学生は学年順位。 高校生ではいい大学を目指し。 社会人になると、 学歴や 勤め先 収入 社会的立場 そんなものに重きを置いていた。 いまは、 それらから解放されたと 思ってた。 けれど、 フリーランスで仕事をしていて 収入が安定していないことが 不安だと思っていた。

          ”点数”は私の価値なのか

          おかあさん、助けて。

          ある日のこと。 体調が悪い時に義母が家に来て、 「あら?体調よくない?寒い?」と。 「うん、ちょっと」と話すと。 「私の(子育ての)時は〜」 「昔はそんな時でも休んでられなくてやるしかなかった」 「結局なんとかなるものよ。」と。 私はその時、 "は?そんな昔のこととかあなたと比べられても知らないし。人の話を自分に持ってかないでよ。" とむかついた。 でもね、あとでふと気づいたこと。 私は表面的にはむかついたけど、 本当はただ、 心配して欲しかった、助けて欲しかった、

          おかあさん、助けて。

          悩みの答えは外ではなく、自分の内側にある。

          色々な悩みの解決の方法論や情報が溢れているこの世の中。 それでもひとの悩みはつきない。 むしろ増えているのではないかな。 私が長年いろんな人の話を聴いてて感じたこと。 ひとの悩みの答えは 外ではなく、 自分の内側にあるのではないか。 そしてそれは、何かを自分に取り入れて見つかるのではなく、 自分の内側のものを外に出すことで見つかるということ。 病院でも会社でも、 とにかく皆話がしたくてしょうがないという 印象を受けた。 そして案外ひととおり気のすむまで話を するだけ

          悩みの答えは外ではなく、自分の内側にある。