【風紋 12】人生のツケ
西暦を表す4桁の数字。
毎年、その4桁が馴染むのに体感で約半年はかかっている印象がある。新年最初の3ヶ月には、書類の二重線が増える。
そのはずなのに、今年の"2024"の4桁は肌なじみがいい。すっかり今年の表記として、堂々たる面構えをしている気がする。"2023"はとっくに懐かしい存在になってしまったなぁ。光陰矢の如し、烏兎怱怱、歳を取るごとに1年が早く過ぎることはジャネーの法則というらしい。人生の中での1年の比率が小さくなっていくから、心理的に1年が短く感じてくるという主張とのこと。分かるようで、あんまりしっくりこないな。こういった分かった気になれるようで、実はよく分からないことは世の中にたくさんある。そういった論説に自分の人生を圧縮されないように、日々の手触り感を大事にしていきたい。2024が早めにしっくりきている現象は気になるので、どこかしらの研究者の発表を座して待とう。
本題。
人生のツケが回りすぎてきている。
具体的な出来事を挙げるとキリがないので大幅に割愛するが、今年に入って生活のあらゆる場面で身体的/精神的な未清算伝票にほとほと気が滅入ることが多くなった。
「まあいいや」で後回しにする思考の癖は、想像以上に体中にこびりついている。あらかた削ぎ落としたと思っても、目に届かない隙間で黒く固まる。自身への責任を果たせてないことへの、当然の報いだ。
その負債感に気づいてしまったならば、今、唇を噛み締めて背負わなければならない。あらゆる責任からの醜い逃走劇に自ら幕を引く。日々無数に現れる選択に責任を宿して、せっせと背負っていく。背中の選択カゴをパンパンにしていくのだ。いずれどデカい責任を負える強靭な背中と足腰を手に入れるためのトレーニング。
背負っているものの感覚を忘れないように言葉で記しておくことも続けながらも、言葉に依存せず身体感覚にウェイトをかけていく。腹の底から自分からしか出ない音を出せるように。
人生の尺度は長さじゃねぇようで、重さをしょいこんで踏みしめた足跡の深さなのかもしれねぇです。
そういえば車を買いました。2024春場所、初背負い。はっけよいのこった。
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