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【風紋 142】29歳の現在地

アラサーという言葉はどこか他人事ですが、29歳になりました。

去年の誕生日に綴った文章を読むと、 まさしく1年前の現在地点を振り返ることができるので残しておいて良かったなと。今感じていることはこれまでの自分に堆積したものなので、今この瞬間出てくることを綴れば自ずと1年を振り返ったりできる。そんな気がするので、今年も今日の今を変わらずつらつらと残しておきます。

ずっと自分のことを知ること、他人のことを分かった気にならずに考え続けてみるようなことを続けています。こと自分については、これまで構成要素について目配せすることから、そもそもどんな形状をしているのかがすっかり明瞭になったことが大きな、大きな手応えとして残っている。本当に体は正直で、無意識に崩れた型のまま過ごしているとみるみる内にどうにもこうにもならなくなってしまう。自分の形状が分かっていないと、どう戻っていいのかも検討がつかないからどんどん崩れて見るも無惨に。その二歩手前くらいで緊急停止できたのは、本当に周りに恵まれていたと思う。生かされている感覚が一層強くなった今は、自分のご機嫌のいい状態を保った上で他に少しでもうっかり何か与えられる機会を作ることでエネルギー循環を心地よくしていくことに興味津々です。

基本指針としては全て"入口"と"出口"を自分の中で捉え続けること。これが学び、関係、環境、内省、生活、仕事、あらゆる生きる営みにおいて心地いいエネルギーを受け取り、受け渡すための土壌になることに気付いた。とにかくいい風を呼び込むために、地面を蹴りながら軽やかにあり続けたい。いつの間にか出口を見失ったまま、ただ闇雲に高速でその場を足踏みし続けていたまるでポケモンの波乗りバグでダークライを探しているような期間を経て、データリセット。明確に「他者と生きる」ための準備として、自分の生活を取り戻して"よき生活者"になることがこの1年間の出口たり得る。ここ1ヶ月で目まぐるしく、誰かと生活を共にすることへの肌感覚が鋭敏になってきている。外の世界のことが、瞬きしたら自分の中心に居座っていることなんて奇妙なバランスで成立している世界では至極ありふれたことなんだと思う。機会は自分で手繰り寄せるもの。自分のために力を注げることはそう多くないけど、誰かと生きることを前提にした"これから"に注ぐための言葉と恩恵はもう充分に受け取っている。歪な自分にはアンバランスくらいがバランスがいい。

つまり、"お金"と"料理"に精を出す1年にします。本当に書きたくないくらい恥ずかしいことですが、やったことのない貯金をするべく収支計画を作ってみています。貯金という手段は、「"何の対価としてお金を使うのか、それは心地のいいことか"の美意識を力強くしていく」という出口に向かって実践してみたいこと。料理という手段は、「生活の延長線上で他者に与える機会を増やす」という出口に向かって会得したいこと。お金も料理も、受け取ったものを受け渡すこと。何らかのエネルギー循環に携わるものとして、ご機嫌な媒介者になっていきたいのかもしれない。いか仕方なく自分のまま生きて、いかした活かし方を今に課す。

今後もギリギリ言葉になりたてみたいなことをつぎはぎしながら、自分の感覚にだけは正直であり続けていく予定です。もし良かったら、これからもお付き合いいただけると。あなたらしい言葉で、共に何か時間を作り出せたら尚のこと嬉しいです。よろしくお願いします。



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