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【風紋 17】武士道

「申し訳ない」
とお客様に言ってしまう時期があった。

接客業において、お客様に謝罪をする際の文法としては「申し訳ないです」「申し訳ございません」が正しい。謝罪に正しさが存在するかどうかは、棚にあげ、月1-2度程使うたこ焼き機の箱の裏に一度寄せておく。

上司に「おゆう"申し訳ない"って言っちゃっているよ。武士なの?」と指摘を受け、自覚した。
電話口や目の前の謝罪すべきお客様に対して、口調や表情、代替案の提示などの謝罪における必要な要素を揃えているにも関わらず、「申し訳ない」で締めてしまっては誠意に欠け収まるものも収まらない可能性が出てくる。万が一「申し訳ない」でいくならば、まずは自分が武士の身分であることを明かした上で謝罪の必要なステップを経て「申し訳ない」で締め括る。それであれば、相手も「あ、今から武士道に則った謝罪が行われるんだな」と受け取る態度がととのうといった指摘だった。「申し訳ない」に滲み出る武士みは、「かたじけない」に由来するものだろう。

すごく恥ずかしくなった。適切な敬語を使えていない自身の不甲斐なさに対して、そしてお客様にも「この人武士なのかな?」と思われてしまった可能性が万が一でもあることに対して。
同時に、なんで「申し訳ない」という言葉が出てしまうのかという疑問も当然ながら湧き出てきた。

最も単純で恐らくそうであろうという理由は、自分の中で反芻し肥大化する「申し訳ない…申し訳ないな…」という気持ち、申し訳ないボールをそのまま直接届けてしまっていること。誠意を自身の中で膨れた申し訳なさのデカさだけに集中して届けようとしてしまっている、あまりにもな不器用さがもたらした結果なのだと思う。やはり恥ずかしい。たこ焼き機の裏に隠れたい。

もう一つの可能性として見逃せないのは、自分が本当に武士の血筋であるかもしれないということだ。今現在、自分自身が武士であるという自覚はあまりにもなく、時代物の作品にも全くと言っていいほど触れていないため、令和侍の可能性はないと言い切れる。
ただ、血を探ろうにもいきなりお母さんに「うちって武士?」と聞くのは不気味で不躾で口に出すのも憚られる。そもそも、うちのお母さんは多分そんなことは知らないタイプだ。「あんたは道で拾ってきたんだ」と昔から冗談をかましてきていたが、そんな言葉の節々からもお母さんが流浪の野武士だった可能性は捨てきれない。諸々含めて、今度帰省したら聞いてみることにする。

過去、現在と武士である確証を得られてない自分に残されたのは、今後武士になるという選択肢だけだ。武士道を学ぶ必要がある。
「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」という言葉があるらしい。何か選択に迫られたときは、死に近い方を選ぶべしという精神。つまり、困難を選択せよということだ。その他にも忠誠・勇敢・犠牲・信義・廉恥・礼節・名誉・質素・情愛を重んじることが求められる。今の時代でも、変わらず大切な生き方が詰まっているように感じる。立派な武士になりたい。目指すのは佐々木小次郎かゾロ。そんな今日この頃。

こんな片腹痛い文章で申し訳ないです。
でも、読んでいただきかたじけない。


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