スモモも桃も、桃のうち
酸っぱいくだものがむかしから得意じゃない。
いや、全然食べるんだけども、
味や香りはだいすきなんだけれども、
舌の端っこがぎゅっとなるのが苦手で、
つい避けてしまうくだものがいくつかある。
いちごとか、オレンジとか。
だいすきなのになぁ、と舌がピリピリしては、少し寂しくなる。
そんななかで、桃はピリピリしない貴重なくだものであり、夏、ほんの一瞬のご馳走だ。
贅沢品だから、あんまり自分では買えないのだけれど、実家にいたら母が剥いて出してくれた。
甘えられる実家、最高。
内側ほど真っ赤に熟れた桃の果実は、
噛み締めるほどにジュッと甘い果汁と、
ふわりと優しい甘い香りを漂わせる。
ずうっと、この甘さを味わっていたい。
今日、名古屋の荷物をすべて
ヤマトのお兄さんたちに運んでもらった。
旦那は先に北九州にいっていて、
私は名古屋の実家に居候してたんだけれども、
ついにその荷物をすべて北九州に送り、旅立つときが来た。
といっても家具やらなんやらはすでに北九州にあり、
私は私の衣類とか生活用品のみを持って実家にいたので、それを送っただけである。
小荷物の引越しは、ヤマトの「わたしの引越」が便利だった。
(その割には、荷物が多くて震えた。北九州の家に入るのかしら)
7月はまだ地元にいて、有給消化中なのもあって
友だちに会いまくったり、実家でゴロゴロしたりと
とんでもなく怠惰な甘い日々を探してしまった。
8月からは新しい土地で新しい生活が始まる。
現実も戻ってくる。
仕事どうするのとか、新しいコミュニティ探さなきゃとか。
旦那はいるけど、知り合いは旦那しかいない。
転勤族なので、数年の土地と理解はしているけれど、
ひとりぼっちでその数年を過ごすのは、寂しすぎる。
なんかしなきゃなあと思う。なんか。
次の生活のことを思うと、甘くない現実の話になるので酸っぱい気持ちになる。
あー憂鬱だなぁ。
甘いものだけが生活じゃないって、わかってる。
苦みとか、すっぱさとか、
そういうのも全部含めて生活であり、人生。
遊戯三昧、という仏教の言葉がある。
日常のこと、全てが遊びであり
嬉しいことも、苦しいこともすべて遊びのように徹する。どんなことも遊びとして受け入れる、という考え方。
いかなる状況におかれても、私は私なりに楽しむことができる。楽しむことを心がける。
「スモモも桃も、もものうち」って言葉遊びのようだけど、実は本質なのかもしれない。
酸っぱい桃も、甘い桃も、どちらも桃。
苦しきも、楽しきも、また人生かな、なんて。
美味しい食べかたを、考えたい。