【源 政綱・宗綱・宗頼】 源 頼政の子息たち(2)
源 政綱 【みなもと-の-まさつな】(生没年不詳)
平安末期の武士。正綱とも。父は源頼行(頼政の弟)で、先日ご紹介した源兼綱とは兄弟になります。兄弟の宗頼や兼綱と同様、保元2年(1157年)に伯父の頼政の養子となっています。
以仁王の乱の際には兄・宗頼と同様、園城寺に向かう頼政一行に加わっていないことが『玉葉』に記されている(治承4年5月22日条)ため、結局以仁王の乱に参戦したのかも含めてよくわかりません。
なお、その後の消息は不明です。
源 宗綱 【みなもと-の-むねつな】(?~治承4年〔1180年〕)
源仲綱の嫡男、源頼政の嫡孫です。『尊卑分脉』によれば、位階は従五位下、官職は肥後守を務めましたが、宇治平等院の戦いで祖父・父とともに自害したとあります。
源 宗頼 【みなもと-の-むねより】(生没年不詳)
源頼行の嫡男ですが、父・頼行が保元2年(1157年)に自害したため、兄弟の政綱や兼綱とともに伯父である頼政の養子となりました。
しかし、以仁王の乱で頼政が園城寺へ向かう際、頼政は宗頼を伴わなかったと『玉葉』にあって、彼が以仁王の乱に参加したかどうかは定かではありません。
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