記憶の寿命
この間読んだ本の一節に、特に直接的にそのストーリーとは関係なかったのだが私の心に深く残り、忘れられない言葉があった。
「記憶の寿命」
何を隠そうこれが今回のトピックである。この世に存在する生きとし生けるものには必ず寿命がある。これだけ技術の発達した現代でも、人はいつか必ず死ぬ。永遠などというものはない。しかし、実体を持たない記憶というものにすら寿命があるということなど、これまで考えたことがなかった。いや、全ての生きとし生けるものに寿命があるとするならば、もしかすると寿命がある”記憶”というものは、実体こそ持たないものの、生き物そのものなのではないかとも考えた。しかし私が気になったのはそんな哲学的な部分ではなく、確かに記憶には寿命があるのかもしれないと強く感じたところだった。
一般的に昔のことになればなるほど記憶は薄くなるものだろう。せいぜい三日前に食べたものは思い出せても三十日前に何を食べたかなど、よっぽどの食事を三十日前にしていない限り覚えているはずもない。私は15分程目を瞑って、三日前に食べたものを思い出そうとしたが、どうにもこうにも思い出せなかったのは毎日なんの変哲もない食事を摂っているからであろう。
これとは反対に、昔のことなのに鮮明に覚えていることもある。とりわけ特別な出来事はよく覚えているのではないだろうか。もう六年も前になる高校の卒業式の事はもちろんのことながら十七年も前になる小学校の入学式のこともよく覚えている。これらが依然として鮮明な記憶として残っているのは、自分の脳ミソが「この場面は覚えておくべきだ」と強く記憶組織に命令したからなのだろうか。超が三つ並ぶほどに文系の私には詳しいことはわからないが、一応そんな仮説を立ててみた。
ところが、この仮説に大いに釘を刺す記憶が突然私の脳内にフラッシュバックした。というのも「絶対にこの場面は覚えておく必要はないだろう」と断言できるような遥か昔の記憶がふと蘇ったのだ。そしてさらに、この仮説の崩壊に追い討ちをかけるかのように、つい最近の「覚えておくべき場面」である海外留学から帰国した日のことをほとんど覚えていないことも判明した。大切な記憶を忘れてどうでもいい昔のことを覚えている自分の頭が恐ろしくなった。
勘違いしないでいただきたいのだが、私は割と記憶力は良い方である。どのくらいかと言うと、小学校はおろか、幼稚園の頃の園歌ですら完璧に歌えるほどだ。整理整頓もめっぽうできる方なので、その記憶の数々は美しく脳内の箪笥の引き出しにしまってあると言って良い。以前も書いたことがあるが、私にはほぼ全てのものに色が見えるため、記憶も色で覚えている。その時の感情が嬉しいものなら暖色の記憶として残り、その時の天気が曇っているとどんよりとした灰色の記憶といった形で残る。要するに脳内で記憶がラベル分けされているのだ。そのため普通の人よりも記憶が残りやすいのだと勝手に信じている。
話を元に戻そう。絶対に覚えておきたかった記憶がどうでもいい記憶に負けたことに関して、なぜこんなにも理不尽なことが起こったのかを考えるべく、私は両者の例を挙げてみることにした。
赤コーナーの絶対に覚えておきたかった記憶代表は「ハンドボール部を引退した日」のことだ。恥ずかしながら私は高校生活の青春を捧げた部活動にどのように終止符が打たれたのかほとんど覚えていない。これは当時のチームメイトが読んだら激怒するかもしれない。というのもチームの主戦力、いわゆるエースの一人であった私は、最後の試合の直前のウォーミングアップで足を捻り、立っていられないほどに足首を痛めた。そして私は何もできないまま試合が終わった。
「お前のせいで負けたのだ」と怒鳴られてもおかしくないのに、その時の記憶がほとんどないなどと言ったらそれは怒る者もいるだろう。気がついたら試合は終わり、涙も流せず監督を囲んでいた。その時に監督が「勝たせてやれなかったのは俺が無力だったからだ」と涙声で言ったのは覚えている。それに対し、胸が張り裂けそうになるほどの罪悪感を覚えたことも覚えている。それまで如何なる時も助け合ってきたチームメイトにどんな顔をしたらいいのか分からず、ただただ地面を見つめていたことも覚えている。翌朝松葉杖をついて情けなく登校をしたことも覚えている。どんよりとした曇り空だった。監督が私をみてただ一言「そんなにひどかったのか」と言って肩を叩いたことも覚えている。それなのに試合中の記憶だけがない。
甲子園を優勝して引退する球児のような華々しい最後とは程遠い。無論悲劇のヒーローを気取るつもりもない。あの時はすまなかったと今からでも頭下げてチームメイトの元を回りたいほどに彼らへの罪悪感は残っているのだが、どのようにして高校生活の全てだったと言える部活動が終わったのかは、(終わらせてしまったといった方が適切なのかもしれないが)、それでもそこに存在していた身としてどうしても覚えていたかった。きっとビデオか何かが残っているはずだから、それを見ればわかるのだろうが記憶していないということが如何せんショックだった。
これに対し、青コーナーのどうでもいい記憶代表は、本当に本当にどうでも良い。忘れたとしてもきっと私の人生に何の変化もないだろうし、覚えていた方が同窓会の席がより楽しくなるといったことも別にないだろう。中学三年の時の英語の時間のことである。薄緑のカーテンが夏の空にゆらゆらと揺れていた。入道雲が美しい夏の昼休み明けの時間、教室には制汗剤の匂いが充満し、給食で満腹になって昼休みを思い思いに過ごした思春期の学生たちは、どうにかこうにか居眠りを隠すのに必死だった。一番左の列の前から五番目くらい、左手にはプールがよく見える席に座っていた私もまた気怠げに授業を受けていた。
教科書に載っている英語の長文を和訳してくることが宿題で、授業は先生が英文を読んだら、クラス全員で一度そのセンテンスを復唱し、その後に指名された生徒が宿題として書いてきた和訳を読み上げるという内容だった。「今日は○日だから出席番号が○番の人!」と、とてつもなく理不尽な方法でとある生徒が指名され、そこから列に沿って翻訳の順番が回っていった。出席番号が三十一番だった私は「私がこの理不尽な理論で指名されることは一年のうちに多くとも七回しかないのだ」とたかを括っていたものである。発音の頗る悪い先生が面倒な授業を進めていると、右から二番目の列の前から二番目に座っていたM田さんに翻訳の順番が回った。そして前後は全く覚えていないのだが、M田さんが「passed away」というフレーズを「他界しました」と翻訳した。そのことに対して発音の頗る悪い先生が「素晴らしい翻訳だ」と彼女を絶賛した。これがどうでもいい記憶代表の全貌である。思わず「どうでも良い!」と口に出した読者もいることだろう。
この記憶には捕捉すべき点がいくつかある。まず第一に今回私がこれを「どうでもいい記憶だ」と思っている理由について、このワンシーンがどこにでもあるであろう、何の変哲もないただのつまらない中学校の授業だったというところに起因する。素晴らしい先生による素晴らしい授業だったわけでもないし、この訳された文章がなんだったのか覚えているわけでもない。実際passed awayしたのが誰だったのかも、そのストーリーがどんなものだったのかも、M田さんの後に誰が当てられたのかも、自分に翻訳の順番が回ってきたのかも何もかも覚えていないのだ。
そして、私がM田さんと仲がよかったわけではないことは、この例において重要だと言って良いだろう。そのため私が彼女のことで他に覚えていることとしてはバドミントン部に所属していたことくらいだ。特に面と向かって話したような記憶もない。これがもし、例えば自分がすごく仲の良かったクラスメイトが素晴らしい翻訳をしたとして、それが大いに褒められたり、あるいは抱腹絶倒するほどの珍訳だったとしたら記憶するに値したのかもしれない。実際、高校の時に「母国語」という意味のmother tongueという単語を、頑なに「母の舌」と訳したI藤は今でも伝説となって語り継がれているが、そうではないのにここまで鮮明にこの記憶があるのはなぜなのか、不思議でたまらない。
もう一つ大事なことは私がこの記憶に関して、誰か第三者に話すのはこれが初めてということだ。「M田さんがpassed awayを他界したと訳して先生に褒められた」と書き残した日記がつい最近出土したわけでもなければ、この日のことが高校時代のI藤のように、酒の席の笑い話として何度も登場しているわけではない。おそらくあの場には発音の頗る悪い先生と全クラスメイトを合わせて35名ほどの人間がいただろうが、このシーンをここまで鮮明に覚えているのはどう考えても私一人だろう。
今回私が主題として掲げた記憶の寿命の観点から見ると、もっともっと長生きするはずだった”ハンドボールの最後の試合”の記憶の寿命は恐ろしく短く、すでにその生涯を遂げ、反対に”クソどうでも良い素晴らしい翻訳をしたM田さん”の記憶の寿命は、告げられることなどなかった余命宣告を遥かに超えて、私の脳内で既に十年の月日を生きている。こうして私の「記憶の寿命は、長いものは自分の脳ミソが『この場面は覚えておくべきだ』と強く記憶組織に命令しているからだろう」という仮説は無事に破壊されてしまった。
それでは記憶の寿命はどのように決まるのだろうか。この世の理のように神が決めるものなのだろうか。いや、そんなにファンタジー調のものではないのだろう。そう言い切れるのは、ここまで長々と文を書いてきた中でだんだんと答えが見えてきているからだ。
ハンドボールの試合に関しては、当時の自分はおそらくどうしたら良いのか分からなかったのだろう。「負けたら引退」と分かっている状況で、自分の体がいつもどおり動かないのにもかかわらず「この瞬間を忘れないでおこう」と脳が指令を出していた余裕などなかったはずだ。「このままだと自分のせいで負ける。どうしたら良いのか」それだけで精一杯の50分だったに違いない。
M田さんの翻訳に関しては、ここまで描写しなかったことを読者諸君には申し訳ないと思っているのだが、当時の私は彼女の翻訳に心底感動していたのだ。彼女は決して頭が良い方ではなかった。彼女のことなどほとんど知らないが、本をよく読んでいる印象もあまりなかった。だからこれから彼女の口から出てくる翻訳にほとんど期待をしていなかった。ところが私の失礼な想像は完璧に裏切られ、彼女はとても優しい口調で、会ったことも無い人間の死を心の底から惜しむようにpassed awayを「他界した」と訳した。その時私は「この人はとても優しい人だ」と強く思った。自分の目の前に開かれたノートにはpassed awayの下に作業的に「死んだ」と書いてあった。私はそこに赤線をひっぱり、「他界した」と書き換えた。
詳しいことはわからない。他の例も洗いざらい出してみて、全てを赤コーナーと青コーナーに分類して戦わせてみると、この確信すら崩壊する可能性もあるだろう。技術の発達した現代ではそんなことはとっくに科学的に証明されているのかもしれない。しかし私は、ここに記憶の寿命の結論を「その人がその出来事にどれだけ感情を動かされたのかに起因する」ものとしたい。そうすれば私は、これからも自分の記憶と向き合うことでその時の気持ちを思い出せるかもしれない。M田さんのように優しくなりたいと感じた記憶が残り続けることで、私は誰かに対して優しくあれるのかもしれない。そうなるとこの断片的なわずか30秒ほどの記憶は、クソどうでも良い記憶などではなく、絶対に忘れてはいけない記憶に分類されることになる。
覚えておきたいこと、覚えておくべきこと、忘れるべきこと、忘れたいことというのは、我々の心がどう思うのかではなく、無意識のうちに脳みそが分類しているのかもしれない。となると脳みそは素晴らしく優秀だ。やい我が脳みそ、君が非常に優秀だということはしっかり記憶しておいてやろうではないか。偉いぞ。
2020年7月22日
自宅にて