幸せよりも穏やかさが心地いい
社会に出てから、人と上手に友好関係を築けないことに悩み続けてきました。嫌われるようなことはせず、陰口は言わず、お節介を焼いて、雑用を買って出て自分の仕事は残業してやるなど、とにかく人と仲良くなろうとしてきました。そして、誰からも好かれることで承認欲求を満たしていました。
当時どのように評価されていたのか、今は分かります。「ただのいい人」「頼めば断らない人」「面倒ごとを押し付けられる都合のいい人」だったのです。それは職場だけでなく、プライベートでもそうでした。育った家庭でも。
生きづらさを抱えて生きてきた私は、幸せになりたかったんです。理解してくれる友達が欲しかった。お互いを尊重しあえる恋人が欲しかった。愛して欲しかった。しかしどれも叶わず、幸せを感じることはありませんでした。どうすれば自分を幸せにできるのか、見当がつきませんでした。
私の抱えている生きづらさの正体は、双極性障害と発達障害でした。診断されてから、何度も薬の処方を見直し、時には入院して、先生と一緒に障害と向きあってきました。そして安定した日々を送れるようになりました。
双極性障害は、鬱気味で安定するように治療されます。私は光トポグラフィー検査の結果、学界に提出されるほど極端なものだそうでした。治療を始めるには遅すぎると言われました。躁と鬱の気分の波を短い間に繰り返す、ラピッドサイクラーです。ネットで調べると、躁鬱の波のピークが数週間の場合、治療が難しいそうですが、私の場合は一日のうちに波が変わります。嬉々として仕事をして、夜は死にたくなる毎日でした。躁から鬱にダウンするときに、強い希死念慮に襲われます。なので、生きるためには鬱状態で安定するような治療が必要なのです。
鬱ですから自分を幸せにしようという気力はありません。幸せなんかいりません。私は今、辛いと思いながらも、とても穏やかに過ごしています。前向きな人から見たら、刺激のない人生なんて生きていると言えるのか?と思われるでしょう。生きてて楽しい?とも言われるかもしれません。辛辣に言われても、今なら布団をかぶって耐えた後に穏やかさを取り戻せます。
幸せは失う不安がつきまといますが、穏やかさは環境が変わらない限り持続します。穏やかでいられることに感謝でいっぱいです。
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