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逃げられないこの自分と

前回、「海外在住の日本人が言うことには」を書かせてもらい、それに関連する自分の叫び(のようなもの)をfacebookに投稿したところ、日本内外からかなり反響があったので、こちらにも転載させてもらいたいと思う。

何が言いたいかというと、目的を持ち自分を知って生きる限り、みんなすごいんだ!っていうことで、要するに、みんな今いる場所でがんばって生きてるよ、っていうことです。



いつだってどこだって、戦う相手は自分自身


海外にいることを、すごいね、と言われたり、少し構えた目で見られたりします。

けれど、どこにいたって、結局自分と戦わなければいけないことに、全く変わりはありません。

 

私の苦しみはいつだって、自分のいたらなさとか、朝起きられないとか、頑張らなくてはいけないのにできない時とか、感謝できなかったとか、人を傷つけることを言ってしまったとか、人に嫉妬をしてしまうとか、食欲に負けて生ハムを1パック買ってしまったとか、そんなものです。

 

海外にいることは、すごいことではありません。

ましてや私は、決してすごい人間ではありません。

 

国境なんて飾りです。ただの概念です。

異国の言葉でも外国人でもなんでもなく、いつでも結局向き合うのは自分。自分の弱さや痛みです。

 

ただ、効率的に自分を成長させるために、自分と極限まで向き合う環境に置くために、海外にいるということは有利というだけです。とことんシンプルに、孤独になれるからです。対面を気にせず、思い切りあがいて、挑戦して、恥をかけるからです。

 

ですから日本にいても、孤独の価値を知り、自分を知り、目的を持っている人は、臆することなく挑戦し、どんどん前に進んでいくと思っています。

 

私はそういうタイプではないので、それまでの仕事、婚約者や人間関係、全てを置いて、身一つで海外へ出ました。

 

海外にいても、成長できないタイプの人はいます。

変化を嫌い、どこにいても、日本の以前のままの自分を持ち出し、恥を恐れ、自分の弱さを直視できない人。

それならそれでいいと思います。海外に行くことが目的だったのであれば。でもそういう人ほど、短期間アメリカにいただのなんだのを自慢して、日本での海外組の風評を下げています。

 


働きながら2年以上のアカデミック英語の勉強で屍になりつつ、筆記・面接試験の点数がギリギリ足りず、補欠でフィンランドの大学に合格し、長い苦労が終わってやっと明るい生活かと思いきや、待っていたのは、そこからさらに約2年は、ほぼ劣等感しかない苦しい学生生活でした。

4年いる今も、その気もちはまだぬぐえません。誇りに思えることは、持てるようになりましたが。

 

日本では馴染みのない様々な差別問題、世界の社会問題についての議論、解決法、専門用語、法律、いつも英語辞書片手に、授業を録音し家で復習しなければ全くついていけない私に対して、周りは英語のみならず4ヶ国後以上話せるのが当然、自己表現できて当然、それまでの教育と世の中への興味から培った高い学力と知識…

 

私が評価されたことは、1年目は心肺蘇生の授業で人工呼吸が超うまかったという以外何一つなく、英語がままならない私が、言いたいことを喋ろうとすると時にしらけるような空気の中、それでも、石にかじりつくつもりで食らいつき、発言をし続け、議論をし…。物怖じのしなさは先生にもクラスメイトにも認められていたと思いますが、

もし私のいたキャンパスに他に日本人がいたとしたら、きっと必死すぎてみっともなくて距離を置かれるほどでした。

あらゆる意味で、ひとりきりでよかったと、心から思います。

 

さらに、住むところがみつからない…人災に巻き込まれる、などのあらゆる身の回りの問題。

 

もともと体調を崩しやすいので、課題と頼まれごと、自分のやりたいことに追われ、疲労し果てて年末のお祭り騒ぎの日に倒れ、指いっぽん動かせなくなったこともあり、 

 

私、はたから見たらすげーかっこわりーなーと、

海外にいる自分を、日本の人に自慢できるような気持なんて、ひとつも持てませんでした。

 

 

それでも、やれることを必死でやらせてもらい、手探りながらもこの地でいちから人間関係を築き、「○○(会社)のおおばやすさん」という肩書なしの「おおばやしあや」という無印でも、人に信頼してもらえる自分を作ってこられ、

苦しい学生生活からも『人の隠れた才能、創造力を活かして、その人らしく自分の足で力強く楽しく生きていく』というクリエイティブメソッズ+ウェルビーイングという考えに光明を見出し、

敬遠する学科の生徒の中からひとり、色々なスタートアップイベントに出かけて時に審査員に酷評を得、オシャレ目的スタートアップ人間たちに白い眼で見られながら、今現在日本で喜ばれつつある、コミュニケーションゲームを、執念としか言えないようなもので開発してきました。

まったく、恥の多い人生です。

 

私はまだまだの人間であり、海外にいるとかいう下らない理由で自分を支えるつもりはありません。できません。海外には、私がミジンコに見えるほどにすごい人が、たくさん、たくさんいます。

ただ、ここ数年、自分は、自分の弱さや痛みをずっと直視し続け、それでも自分にできることを探し、死ぬほど自分と向き合い続けたから、ここまで生きてこれたのだ、今があるのだ、と思っています。

 

私をいま取り囲んでくれる、やさしくて素敵な人たち、環境が、私のこの数年の成果で、それ以上でもそれ以下でもなく、けれども自分でこの人生を作り上げてこられたことに、純粋な感謝と誇りを感じています。

人生を投げ出さずに、生きてきてよかったなと思います。それだけです。

 

自分の最強のパートナーは自分です、どこにいたって。海外に住んでようが、日本にいようが、それは一緒で、そのパートナーの望みを知り、弱みを知り、才能や強さを見つけ活かすことで、人はどのようにでも前向きに生きれるのだと思います。

嫉妬や劣等感に苦しむことなく、足るを知って。


素晴らしくない人はいません。ふつうの人なんていません。

もし、そうではないと思うのなら、断言しますが、ただ、そのパートナー…自分のことをよく知らないだけです。

  

いまは、学んだ知識とこれまでの経験を最大限に活かし、人の「才能・強さ」を一緒に探させてもらうことが、私に与えられた、人生をかけられる仕事だと思っています。



お読み頂き、ありがとうございました。

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