深い香り
ピピピピピピピピ
音が狙っていたが如く耳の近くで鳴る。
どうやらうつ伏せで携帯を耳で押し当て寝ていたらしい。
「はーー、ぁ...」
身体が重い。けど気持ちは軽かった。なので問題なし。
ここ数週間、朝起きて気持ちと体がリンクしてだる重かった事がなくなってきた。
厳密にはなくなることはないのだが
少しマシになって来たと言うべきか。
その数週間前に限らず、コロナ禍から新しく転進したイラストレーター業を決意し、在宅の慣れない環境化に悪戦苦闘。
すっかり身体もこころも穴だらけになり。
気づいたらチーズみたいになっていた。
けれど最近その穴の進行が少しづつ遅くなったきがした。
掛け持ちの派遣も気付けば3ヶ月、ようやく慣れて、出来ないことが少なくなって来た時期である事や
ご依頼で頂いたイラストの納品がしっかり出来たこと、初めは病みに病み、イマジネーションなんて湧けず
捻り出して考えようとするのが申し訳なく、考えることをやめてみたり、と、
ペンを走らせては追いてを繰り返していたのが、ようやく時間の経過と共に、イメージの神が降臨、遅いわー!と
半ベソを描きながら形に出来たりと、複数の事が完走できた。
だから今はなんだか軽い。身体はくたくただけど、まだ大丈夫。元気だ。
お湯を沸かしコーヒーをドリップした。
面倒くさい朝は大抵インスタントだったが
色々なしがらみから少しずつ解放された自分へ乾杯をしよう。と
ゆっくりお湯を注ぎ、もくもく浮き上がるコーヒーの粉末をじっくり眺めた。
柔らかく広がっていくもくもく、天井に上る香り。深くて大人な香り
色々な苦くて苦しかった記憶と共にその香りを纏い、ゆっくり呼吸し、深く深く天井にわたしもふきかけた。
これが大人になって行ってるってことかなぁ
とぽつり、両手をカウンターにつきながらしみじみ浸った。
朝だというのに、まるでBARにいるかのようなしんみりとした雰囲気と哀愁を漂わせた自分にフッと笑った。
深くてコクのあった記憶と日々、ちょっと余裕がある今の自分に一杯のコーヒーを淹れてやる。
おそらくまた余裕でなくなる日がくるだろう、今みたいに過去を思い返し浸る事も浸る間も無く不安や辛さの方が勝るだろう。
けれど今入れたコーヒーと、このコーヒーの味は今しか入れられない、味わえないコーヒーなんだ。
苦しい時も淹れるだろう、その時刻んだ時間と感情の揺らぎ具合で、味は違えど、それもまた味になる。
辛い時や、余裕がある時は、その味の変化にだけ意識を向け、ゆっくり味わおう。
その微量な変化を感じながら、あんな味も良かったなって言える一杯になる様に。