1/15は10数年と昔から悩んでいた悩みの種の原因をさぐりに心療内科で問診と検査結果を聞いてきました。 結果は注意欠陥多動性障害という発達障害ADHDでした。 わたしの場合昔からある悩みや傾向として ①忘れものが多い、または忘れる(意識が続かず途切れる) ②時間管理が苦手 ③寝ても寝足りず疲れやすい。 ④一度言った内容を把握、理解するのに時間がかかる ⑤意識が散漫 といったことがあります。 昔から両親も「あんたがだらしないから」と、当時は自分がだらしないせいだ、性格だ
実は6ヶ月つづけた派遣を11月いっぱいで辞めて、今はお家で休職しながらゆっくりしつつ、ほかを探しつつ 最近は自分の今後の絵の活動や自分がどうしたいのかなど、向き合いながら考える時間を作り考えていました。 丁度5日前、色々考えている最中、以前マッサージ業で働いていた同僚さんから連絡があり、作家に転進したとの連絡。 胸が弾みました、話をきくと、絵本を来年のコンクールに出したいのだとか。そこでイラストを描いて欲しいとの依頼。 すごく凄く嬉しかったです✨絵の活動で考えていた最
今はさほど気にしていないけれど わたしには昔から自覚年齢が−5という感覚がある。 ストレートに言ってしまえば発達が遅い気がするのだ。 ポジティブに言えばマイペースに自分の興味関心があるものにだけ注力し、範疇にないものには無頓着な所がある。 今の時代だから解明され名前が付いている症状がある。発達障害、ADHD。おそらくそれだと思う。 病院には行っていない。直接言われたわけでもない。何故行かないか、辛くなかったのか?などはまた別にまとめようかと思います。 小学生の時、
環境の変化に敏感なくせに 好奇心が旺盛なわたし。目移りしながらよそ見もすごい。 ゆったりマイペースなのに助走をつけてかっ飛ばす事もある。 勢いあるときの傷は案外大丈夫だけど。 周りを見渡しながらゆっくり道を辿っている時に受けた傷は ゆっくりなのに傷が深くて、注意深く意識しているわりに つけた傷以上に傷を上書きしボロボロになっている事が多い。 細心の注意をはらっていたのに、なぜ?どうして?と 何もかもが許せなくなってしまう始末。 この現象に、いつもなんて名前を付けてやろうか
こんばんわ、YouTubeを始めて約3カ月が経とうとしています。 良くも悪くも、始まりは3カ月前、派遣先で倒れ、自身のストレスの危機を 予測よりはるかに超えたものだった事。貯め込みすぎて呼吸困難に初めて張った時。あれほど辛く苦しく、〇にたいと考えていたのに、「死ぬかもしれない」なんて頭をよぎった矛盾とあの日を忘れない。 二年前のコロナ禍真っただ中、6年務めたリラクゼーション業を辞め、昔からの憧れであきらめかけていた夢、イラストレーター業を本格的に仕事で独立しようと決心して
ピピピピピピピピ 音が狙っていたが如く耳の近くで鳴る。 どうやらうつ伏せで携帯を耳で押し当て寝ていたらしい。 「はーー、ぁ...」 身体が重い。けど気持ちは軽かった。なので問題なし。 ここ数週間、朝起きて気持ちと体がリンクしてだる重かった事がなくなってきた。 厳密にはなくなることはないのだが 少しマシになって来たと言うべきか。 その数週間前に限らず、コロナ禍から新しく転進したイラストレーター業を決意し、在宅の慣れない環境化に悪戦苦闘。 すっかり身体もこころも
数あるnoteからご覧いただき有難うございます。 休日おねむと申します。 前回記事から間が空き、気持ちの整理や体調を考え色々働き方や 考え方をブラッシュアップしていました(言いたかっただけ。) しょっぱなの記事から倒れてあれやこれや言われても 「あんた…誰???」感否めなかったので。少しでも 「倒れた人こんな人だったんだ」「面白れぇ女…」など 思っていただけたら嬉しいです。 今回自己紹介noteということでわたしがどんな人かというのを まとまりのない文章でずららと書こうと
こんにちは、そして初めまして! 休日おねむさんと申します。 一週間前、人生初めて勤め先で息が吸えなくなり救急車に運ばれました。 一週間後の過ぎた今はどうにか体調は回復しつつあるものの メンタル面の浮き沈みが激しい状態です。 誰に責められたでも、誰に陰口言われたでも、家族や大切な人、友達と 不仲というわけでもなく、ただひたすら独り相撲のような 自分自身を責め自分自身を縛るような考え方ばかりの自分に限界が訪れ 意気消沈し今に至る感じです。 何をそこまで自分を追い詰めるのか?