【麻倉葉を宿すと人生「なんとかなる」話】
皆様はじめまして。
突然ですが人生ってキツくないですか?
私は定期的に死にたくなるタイプなのですが
皆さんはどうやって乗り越えていますか??
通勤中に音楽を聴く人もいれば
珈琲や甘いもので頑張れたり
これができたら欲しいものを買う!と決めてる人もいるかもしれません。そんな「ふんばる」ためのパワーを私は様々なコンテンツから摂取していたのですが、中でもマンガには大変お世話になっています。
これからお話することはあるマンガと出会ったことで気やすめでも生きながらえることのできた、現在30歳の私の小さい頃からの話です。
【マンガきっかけの学びと死生観】
私はアニメやマンガの主人公は好きになれないタイプの人間でした。マンガの主人公は努力家で熱血で強くて仲間に恵まれることが多々あるのですが、それは自分とはかけ離れ過ぎていて共感なんてできるものではありませんでした。そしてちょっと影のあるサブキャラクターが好きだったのですが今思い返せば当時も今も、唯一好きだった主人公がいるなということがはっきりしているのです。
私が小学生の頃、『シャーマンキング』というアニメが始まりました。その原作の武井宏之先生が書いた『シャーマンキング』を読んだことで私は人生の躓きを「ふんばる」ことができました。それは主人公の「麻倉葉」というキャラクターがいなければ今の私は存在し得なかったと言っても過言ではないことでした。
当時小学生の私にとって、『シャーマンキング』(通称:マンキン)は教科書よりもたくさんのことを教えてくれました。例えば「媒介」という言葉の本質まで理解できていたのは小学校のクラスで私だけだったと思います。
それだけではありません、北海道には「アイヌ」という先住民がいたこと、ペルーには「マチュピチュ」という世界遺産が存在すること、イギリスにはビッグ・ベンという時計台があること…世界の広さや新しい言葉、そのどれもが新鮮に感じられました。
ホロホロが好きで小学校の社会科の発表はアイヌ民族について調べ学習もしました。『シャーマンキング』は私にとってまだ見ぬ世界の片鱗を見せてくれるようなマンガなのです。
なにより学んだことは死生観でした。
『シャーマンキング』にはグレート・スピリッツ(G.S)という存在があります。
ざっくり言うと魂が還るところなのですが
私が人生で何度か死別を経験したときには
「G.Sに還るだけ」と考えることで少し楽になったこともあります。
大好きな祖父が亡くなったときも私は葬儀で泣かずにいました。平気だった訳ではありませんがどこか遠くにいくぐらいの感覚だったことを覚えています。周りの大人が泣いてるなか、「自分がシャーマンならじいちゃんと話せるのになぁ」とぐらいに思えたのは『シャーマンキング』のおかげだと思います。じぃちゃん元気かなぁ??
【ユルさの象徴、麻倉葉】
『シャーマンキング』は主人公の麻倉葉が持ち霊(霊の相棒)である阿弥陀丸とともに500年に一度開催されるシャーマンの大会、シャーマンファイト(S.F)を目指すという物語です。シャーマンキングになった者は神になれる、なんでも叶えることができる…。
500年とか1000年とかそんな途方もない年月が語られる本作ですがその時代感覚のようなものは後に私が歴史に興味を持つきっかけにもなりました。
各キャラクターは自分の夢を叶えるため、S.Fでシャーマンキングになるために命懸けで戦うのですが主人公の麻倉葉の夢は
「ラクがしたい」なのです!
こんな不純な動機があるのかよ!
とツッコんでしまいそうなのですが
麻倉葉の性格を表す言葉として「ユルい」という言葉が作中で使われます。このユルさが後に精神的な強さであるということがどんどんわかってきます。そして、
麻倉葉は人間が嫌いなのです。
そこは私と全く同じでした。
決して能力値が飛び抜けて高い訳でも低い訳でもなく、普通に負けたりもします。
ところがこの一見掴みどころのなさそうな葉の魅力は定番の少年マンガの主人公にないパーソナリティにあるのです。
【死にたくなっても、「なんとかなる」】
麻倉葉の口癖、それは
「なんとかなる」
この言葉に何度励まされたかわかりません。
12、15、18、22、25、28歳…とほぼ3年おきにめちゃくちゃ死にたくなってた私ですがその度に思い起こすのはこんな発想でした。
今は辛くても大丈夫。「なんとかなる」
辛くてもせめてこの世で楽しいことをたくさんしよう。
死ぬときはせめてG.Sに還ろう…。
死にたくなるようなことはたくさんあるけど、私に必要なのは過去の自分と決別し、新しい自分として「蘇る。」ことなのかもしれない。葉より若かった私が30歳まで生きてこれたことは「なんとかなってきた」からで死にたくなってる人に必要なのは死ぬことではないのだ!と確信を持って今なら言える。私が今、運良く生きていることに意味があるかはわからない。でも過去の私はたくさん死ぬけど、明日の私は蘇るのだ。
《もう一度生まれよう、この場所で》
【途中で読むのを辞めた人たちに伝えたい】
『シャーマンキング』は一度打ち切りになり、その後完全版が刊行されました。
人生一番初めにハマった作品が打ち切りで連載終了という経験をした私はこれから何を楽しみにすればいいのだろうと不安になったことを覚えています。武井先生が何より悔しかったと思いますし、一読者である私には何もできないことでした…。
当時、まだ幼い私は謎の憤りを感じてました…
「プリンセスハオがなんなんだ!!」
そして私が大学生になる頃、集英社から完全版が刊行されるようになりました。
まだ学生だった私には完全版を買うというのがめちゃくちゃ贅沢な行為でした。
もし、打ち切りになってから『シャーマンキング』を読むのを辞めてしまった人がいるのであれば声を大にして言いたいことがあります!!!!!!
①『シャーマンキング』としては完結している
②『シャーマンキング』のその後も講談社で連載中
③11月23日から東京ソラマチにて『シャーマンキング』出版20周年を記念した初の原画展が開催される
【※これが一番言いたい※】
来年1月からは大阪、4月からは青森でも開催!
いや、この展示の回し者でもなければ講談社関係者でもなんでもないんですが是非とも本編を読み返して行って欲しい!!!ちょっとでも懐かしいと思って是非足を伸ばしてもらえたらとても嬉しいです!!
(私は限定グッズ付き前売り券を購入しました!)
改めて読み返すと「アメリカ編であの蓮が葉のヘッドホンキャッチしてんなぁ〜」とか「ホロホロとアポロやザンチンの件は名言多すぎるよなぁ〜」とか「たまおかわいいなぁ〜」とか「リゼルグ初登場めちゃくちゃ八つ当たりしとるぅ〜」とか再発見や言葉のひとつひとつがとても印象に残ります😆
🔥このポスターかっこよすぎ🔥
【初見の人へのオススメ最短ルート】
アマゾンプライムなど各配信サービスでアニメ『シャーマンキング』第十七話まで観る→講談社版電子書籍(6巻)or集英社完全版(5巻)【第四十七廻 メラ純情】から読み始める!が早くストーリーを追えるかもしれない!!
集英社完全版は現在手に入りにくいので講談社版電子書籍が手軽!でも集英社版のクリアカバー完全版もめちゃくちゃかっこいい!講談社版は加筆されてる話もあったりするのでそちらも是非☆
アニメは原作とはかなりの路線変更を余儀なくされるが特筆すべきは声優キャスティングとOP、ED、挿入歌、BGMの音楽全てが素晴らしいということ!!!!
【“人生”そのもの。名言多すぎ『シャーマンキング』】
私がなんでこんなに『シャーマンキング』が好きかというと名言がめちゃくちゃ心に響くからなのです。ここでは私のチョイスで選ばせてもらった名言をいくつか紹介したいと思います。
・木刀の竜、ベストプレイス論
【第四十七廻 メラ純情】絶対読んでくれ…
「好きな気持ちに理由(わけ)はいらねぇ
オレはお前がいたいと思う場所にいればいいと思うぜ」
木刀の竜は再評価されるべきなのです…
私のベストプレイス…。
ありがとう、竜さん…。
・恐山ル・ヴォワール マタムネの言葉
「この世の全てに答えなどなく 同じく等しい人間など 一人もいない
お前さんの進むべき道はいつも心で決めなさい」
『シャーマンキング』を語る上で恐山ル・ヴォワールを語らない訳にはいかないほど重要なお話。
訓練された(?)マンキン上級者は【股旅】と聞いただけでおそらく泣く😂
アニメ版、恐山アンナ(cv:林原めぐみ)本人も参加したファンアートから生まれた楽曲も有名になりましたがこれはマタムネが葉とアンナと自分に宛てた手紙なのです。
(“墓 なくとも”は切なすぎるよマタムネ…😭😭😭)
・葉の父、幹久の天井の話
「大人になると ある日 ふと誰もが気づくんだ 頭上にせまっている 自分の限界とも言うべき天井の存在にね」
幹久の言葉はこの歳になってよりリアルに刺さります…
何も成せずに大人になってこのまま死んでいくのだろうか、そんなことも考えてしまいます…でも【なんとかなる】
・ニュー・シマネ・パラダイス
「シャーマンキング zero」
に収録されている過去編はかなり重要な話ばかりなので未読の方は是非読んで欲しい。
時は、1995年の出雲。
出雲大社前駅ホームのベンチでとある霊と葉が出会います。
キライだなんて言ったら勿体ないよ
もしかしたら葉が人を好きになっていくきっかけだったかもしれないのです…。
まだまだ作品の名言はめちゃくちゃあるのですがあとは本編を読んでいただきたいのです!!
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(ありがとうアルさん!!!!!!!)
【シャーマンじゃない私たちにもできること】
葉たちのように持霊も巫力もない我々にできることは
いつも精神に麻倉葉を宿し、「なんとかなる」で人生を乗り越えていくことなのかもしれない。
集英社から講談社という出版社の股旅をしてでも描き続けてくださる武井先生と『シャーマンキング』に関わってくださった全ての方にお礼申し上げたい。
武井先生、『シャーマンキング』をつくってくださって本当にありがとうございます。
【なんとかなる】
それは他力本願の楽観主義のようにも
自らの力で「なんとかする」覚悟のようにも
どちらにも聞こえるけど、そのどちらとも違う
「麻倉葉」だからこそ感じる【愛】がある言葉だと私は感じています。
持病や人間関係や様々なコントロールできないことに対して塞ぎこんでばかりだった少年の頃の私は「麻倉葉」とともに成長しこれからも自分の中に《葉くん》を憑依合体させることでふんばって生きていける気がする。
何があっても大丈夫。
なんとかなる
今の私に笑いながら言ってくれる推しがいると
なんとかやっていける気がするのです。
ここまで読んでくださった皆様に感謝申し上げます。
誠にありがとうございました。
2019.11 .21