宇宙の気やすめ

クソデカ感情純情派 twitter @smallofuniverse

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【麻倉葉を宿すと人生「なんとかなる」話】

皆様はじめまして。 突然ですが人生ってキツくないですか? 私は定期的に死にたくなるタイプなのですが 皆さんはどうやって乗り越えていますか?? 通勤中に音楽を聴く人もいれば 珈琲や甘いもので頑張れたり これができたら欲しいものを買う!と決めてる人もいるかもしれません。そんな「ふんばる」ためのパワーを私は様々なコンテンツから摂取していたのですが、中でもマンガには大変お世話になっています。 これからお話することはあるマンガと出会ったことで気やすめでも生きながらえることのできた

    • 諦めることを諦めよう

      何があっても生き辛さは変わることなく そういう意味ではとても恵まれていることを実感しつつも何も変わることのできない自分に鬱屈な気持ちを抱えながらもそれでも生き延びた一年だった。 行き急ぐようにマッチングアプリに課金し、遅延した満員電車を見送るように過ぎてしまえばあっという間の日々に、何かにすがりたい気持ちが強かった。がむしゃらに動いて拠り所を探した。 この人のことが好きになれたら丸く収まるかもなぁと…しかし数打ちゃ当たるものでもなく、前日からの音信不通にも慣れた頃、悟っ

      • 再生

        新世紀と赤い海

        新劇場版についての回顧録 今、ヱヴァンゲリオン新劇場版:序 破 QがYou Tubeで無料公開されている。 https://youtu.be/z0AeU-0_bHs 序が公開されたのは私が高校生の頃だった。 ヤシマ作戦とあのドキドキ感とBGMがたまらない!久しぶりにQまで一気に観てしまった。 観たはずなのにシーンの一つ一つに新鮮さがある不思議。 碇シンジ君、お父さんに認められたいの一点突破で「逃げちゃダメだ!」と自分を鼓舞できるのがすごすぎる。 逃げていいよ!シンジ君は逃げていい!!! そう心の中で叫びながらスタジオカラーに感謝しかないなと思っていた。 「ガソリンスタンドで給油するときの給油するアレ」が私にとってはどう考えても「エヴァのコクピットの手のとこのヤツ」としか思えなくて調べたら「給油ノズル」と言うらしい。 あの形状のものはノズルなのか、まぁそうか。 (あまり納得いかない) 新劇場版の作中にでてくる海は赤い。 このことは新劇場版でおそらくキーになる部分であるとあらゆるところで考察されていてしかも海が赤いことは当然のこととして認識されている。 加持リョウジが所属する 国際環境機関法人 日本海洋生態系保存研究機構 海洋資源保存研究施設(長い!) は次回作で伏線が回収されるのでは?と期待したいところである。「ポカ波(新劇場版でシンジ君にポカポカした綾波レイ)」誕生のきっかけの場所だし旧劇場版との大きな変更点だと言える。(期待!) 新劇場版でアスカとレイがエレベーターで一緒になるシーン。旧劇は長い間と殺伐さが際立つけど新劇場版のこのシーンでお互いの手の絆創膏の数を比べてアスカの中で綾波のシンジ君に対する好意を認める瞬間がめちゃくちゃ好き。 「ほんっと!つくづくウルトラバカね!それって好きってことじゃん!!」 この台詞で全員アスカを好きになったと思う。  破のラスト、暴走する初号機とシンジ君に投げかけるミサトの言葉。 「行きなさい!シンジ君 誰かの為じゃない! あなた自身の願いのために!」  14 歳に世界の命運を背負わせた大人としては何とも無責任なことはだしQで態度を豹変させるので納得できない部分もあるがこの台詞はとても好き。 シンジ君に限らず世界のことなんて ほんとはどうなってもいいと思ってる人は少なからずいると思う。 ただ、エヴァの世界のように海も大地も赤くて多くの人が亡くなるような世界はフィクションじゃなくなる可能性がある。 「このまま世界がどうなってしまうのか?」 は個人の人生の物語の中ではあまり重大なことではないかもしれない。  だけどその個人が生きる世界が危機に直面している時、後世にどんな世界を残すのか?という責任は今を生きる私達にはあるのではないだろうか?とも思う。 どんな時代が来ようとも海は青い海がいいな。

        • とりあえずわかった答え

          Q.なんでお前が生きてんの? この言葉は数年前、中学、高校の同級生の葬儀で私が心の底から憎んだ人間から発せられた言葉だ。2月の甘い匂いが通り過ぎた頃だった。 「確かに。」 という納得とは裏腹に沈黙でしか返すことができなかった(あるいは無視をしたと捉えられる態度であった)。 ところが最近その言葉へのアンサーがおそらく最も自分が納得いく形で落とし込めた気がする。 死んだ友人はある程度人気のある人だった。 世渡り上手で帰宅部なのにある程度運動もでき面白いジョークも言えて世

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        【麻倉葉を宿すと人生「なんとかなる」話】

          せめて、人間らしく(2020/4/15)

           自粛要請によって職場での仕事がパタッと全てなくなった。閉業準備が決まってからは出勤時間もやらなきゃいけないことも全てイレギュラーで何も考える余裕がなかった。  そして将来というより、今日、明日食っていけるのか?そしてそれまで自分が健康でいられるのかという不安を多くの人が抱えていると思う。 キツイけど仕事をそれなりに楽しんでる自負のあった私は急に空っぽになった。 休みになった時の過ごし方を何も考えてなかった。 スーパーのある商店街を歩く 人の少ない商店街はシャッターの

          せめて、人間らしく(2020/4/15)

          【尊い】は安堵の深いため息か否か。

          あらゆる便利な言葉が抽象度を高めて拡散していく中、むしろ使い勝手がいいからこそ伝わってない細やかな意味合いが犠牲になることはよくあることである。 尊い…あらゆるヲタクジャンルはもちろんのこと、愛する対象に向けた賛美の言葉であるならば尊いを使わずとも称賛してみせよ!! そう私のゴーストが囁いた頃、一つのヒントを見つけたのだ。 【ヲタクは尊いを発言する前には深く息を吐く】そうなのだ。少なくとも私の周りにいるヲタクはその傾向が強い。尊いと深く息を吐くことは似ているのかもしれな

          【尊い】は安堵の深いため息か否か。

          人気原作漫画〇〇化の受け取り方

          この手の話題はよく批判されがちである。 「世界観を壊すなー!」 「私の好きなものを汚すなー!」 みたいな気持ちだろうと推察できる。 わかる。…めちゃくちゃわかる。 まぁ嫌なら見に行かなければいい、と言われるものの気になることは気になるのだ。原作だけ読んでおけばいいものを…。 漫画が好きだとより強く思うことが多いけども私にはその想いよりも勝る価値観がある。 【原作もっと売れろ!!!】 漫画が好きになるあたり一番つらいのは作品の打ち切りだ。そこには様々な理由があることも

          人気原作漫画〇〇化の受け取り方

          夏を惜しむ健全性

          四季の中で一番惜しまれるのは夏だと言っても過言ではない。 「夏っぽいことした??」とは聞かれるが「冬っぽいことした??」とは聞かれないからだ。 夏を惜しむ人は人間としてとても健全だと思う。 季節感を重要視できることは時間の経過を体感できてる証拠だ。 じゃあ何故夏にこだわるのか?と問われればわからない。 夏はみんな狂うのだ。狂っていいとどこかで考えているに違いない。 仕事終わりに帰路で見かけた手を引くアロハシャツの老夫婦をみてほっこりと共にゆるやかな絶望も感じた。 嗚呼

          夏を惜しむ健全性

          お一人様ビュッフェ

          朝起きて… パッサパサなうめぇ飯が食いたい!!!! そう思いました。 今日は自身への快気祝いと持戒をこめてネットでみつけたタイ料理ビュッフェのお店へ行くのだと決めました。 サフランライスが食いたい!!! うめぇよ、タイ料理。 野菜は日本のほうが断然うまいけど。 スパイス的なやつはやっぱり食べたくなるときがある。 カウンター席に座って思うことがある… (ビュッフェはあれだ、誰かと来たらもっと楽しいやつだ!) とかなんとか考えながらも1人ビュッフェを堪能するのでした。

          お一人様ビュッフェ

          一生まとわりつく自己否定感との付き合い方

          書店の自己啓発コーナーにはそう書かないと置いてもらえないのか?と疑うほど「自己肯定感」の文字が並ぶ。 自己肯定感が私は必要とは思わない、もっと大切なのは自己を否定したいときの向き合い方であると思うからだ。 いじめをしてはいけないのは倫理的に間違っているからではない。その人の一生に大きな心の傷をつけるからだ。 どんなに歳をとっても拒絶される記憶は残る。 忘れたい本人の意思など関係なくずっと残る。 自分の存在が迷惑であったり空気を害してしまうのではないか、求められてないので

          一生まとわりつく自己否定感との付き合い方

          カプサイシンって知ってる?

          人間は命の危険を感じるものを本能的に回避する動物かと思いきや決してそうではない。  激辛ラーメンや苦いコーヒーを好き好んで摂取し毒のある魚を食べ、発酵した豆を食べ、喉を詰まらせる危険のある餅を食べ、肺を傷つけながらタバコを吸い、記憶を失う酒を飲む。 生きながらおうとする食事でさえ人間は強欲でもっと違う種類の体験を命と引き換えでも得ようとするのだ。 しかしこれが合理的であるとすれば? 仮に生きる術が多様な摂取の形であるとすれば 逆説的ではあるが人は生きるからこそ危険なもの

          カプサイシンって知ってる?

          ネムリノスゝメ

          一般的に人間の三大欲求は「食欲」「性欲」「睡眠欲」と言われる。 しかし「睡眠欲」は本当に欲求なのか? ということを聞いたことがあり私も納得したことがある。 欲求は自らが欲しいと求めると書くのは字の如くであるが睡眠については脳幹が支配するものであり身体の機能として働くのでそこに能動的な要素を付け加えることは難しいかもしれないのである。 そして人間の欲求の3つ目は「群れる」ことであり人間が社会的な存在であることは欲求そのものなのだ。 (人間の欲求がいくつあるのか?みたいなこと

          ネムリノスゝメ

          狂気と愛は紙一重

          人間の執着はおもしろい。 人間は全くの不合理を正当化することを惜しまない。 人によってそれは狂気に見えたり愛情に思えたり様々である。 拠り所がある人間はそれだけで生きてる意味を見いだせる。生きるというよりは「死ねない理由」が見つかる。  胸を張って生きなくていい。  でも好きなことがみつけれるなら死なないで欲しい。 他人とって気やすめに思えるそのことはあなたにとって何より大事なことならそれを終えるまでは絶対死ねないのだ。 あなたのセンスが宇宙で一番素敵なのだ。

          狂気と愛は紙一重

          エンドレスエイト

          似たような日々を過ごしているような感覚に陥るとき確かに日付は変わっているはずなのにある日のある時の無力な自分のままであるかのように思えることがある。 デジャヴュなのか気のせいなのか、ただ五感以外で感じる何かは全くの警戒すべき対象であり身構えてしまうのだ。 こんな夢をみる。 幼い私は海で砂の城をつくっている。 近くに幼い私と似たような少年がおり彼もまた砂の城をつくっている。 彼の城はすごく立派でかっこよかった。 それをみた私は城の天守閣のような部分を取り壊しピラミッドのよう

          エンドレスエイト

          祈りと服薬と潜水艦

          痛みや症状が酷いとき日常的に飲むくすり。 帯状疱疹の激痛はボルタレン一日2錠なんかで効いたような気がしない。 不思議なことに痛いと生きてることを実感する。 こんなにも痛い身体を引きずりながらでも生きるしかないのだ。薬が効かないとあとは祈るしかない。 痛みがせめて薄まるように神様お願いなんとかして… 合理的服薬と神秘的祈りにより私の身体も精神も自分自身でなんとかできないものになる。 私は小学校の頃になくなった祖父のことを思いだしていた。 祖父は人には厳しく厳格な人だったらし

          祈りと服薬と潜水艦

          井の中の蛙は井戸も知らない

          いつからだろう「普通」の人生からはみ出てしまったのは いつからだろう「普通」に暮らしていけなくなったのは 誰かが私を普通じゃないと言っても私が不幸な訳ではない。自分の幸福ぐらいは自分自身で感じたいものである。 さて、私には野望があり大器晩成と言えどもそろそろなんとかしたいので日記がてら文章を書くことを習慣にしていきたいと思う。 これが最初の一歩となるのだ。 誰かにとってまだ若く、誰かにとっておじさんの私は誰でもない私が「まだ」と思い続ける限り自分で人生に妥協したりしない

          井の中の蛙は井戸も知らない