エンドレスエイト
似たような日々を過ごしているような感覚に陥るとき確かに日付は変わっているはずなのにある日のある時の無力な自分のままであるかのように思えることがある。
デジャヴュなのか気のせいなのか、ただ五感以外で感じる何かは全くの警戒すべき対象であり身構えてしまうのだ。
こんな夢をみる。
幼い私は海で砂の城をつくっている。
近くに幼い私と似たような少年がおり彼もまた砂の城をつくっている。
彼の城はすごく立派でかっこよかった。
それをみた私は城の天守閣のような部分を取り壊しピラミッドのような大きな山をつくることにした。
私は城をつくる私を否定しあたかも最初から砂の城をつくる予定などなかったかのように工作したのだ。
他人のできがいいからと言って取り壊す必要もないのに自分自身で壊してしまった。
私はその光景を第三者目線で見ている夢だ。
怖いこと恐ろしいこと不安なことはその直前が一番辛いのだ。叱られてる最中よりも叱られてる前のほうが恐怖を感じるし、いじめや暴行を受けるときにはその直前に一番の無音の苦痛を感じるのだ。
そこに見える幼い夢の中の私は城をつくっている最中隣の少年の城の完成度が高いことを悟ってこのままでは恥ずかしいと感じたのだ。だけど何もできる手立てはなく彼の城より酷いけども作り続けるという行為の中で「実は山をつくってました工作」をしたのである。
それは姑息であり、自分をごまかすことでの処世術であるかもしれない。
仕事でのクレームや困難な人間関係が待ち構えているとき私は人にバレないようにしつつも酷く怯えているのだ。どんだけ強がっても嫌われたくないし拒絶されたくないのだ。失敗したくないし責められたくないのだ。
そんなことを繰り返していてやっとわかったことは私は人に拒絶されることに慣れてるのではない。
自分が相手のことを嫌いだったことにしてそんな感情が‘なかったことにした’だけなのだ。
おそらくまた繰り返すであろうこの感覚がきたら
私は夢の中の幼い私になんて声をかけるだろう。
一番かっこいいね!
と言ってあげたい。
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