第4話 一瞬の出来事
「そこで、我々が第0ステージとして用意した課題は、200kmマラソンです」
統括プロデューサーの冴島アキラがそう言うと、会場中に困惑の色が広がった。会場は一瞬静まり返った後、ざわめきが起こった。
・・・マラソン?
「おい!俺はマラソン選手になるために徳島から来たわけじゃねぇ!ふざけんじゃねぇぞ!」赤髪の男が叫んだ。
他の参加者たちも次々に声を上げた。
「いくら音楽以外の部分が大事だって言っても、歌の審査はどうするんだ?」
「こんなの歌のオーディションじゃない!」
「そうだ、歌わないと分かんないだろ!」
あかりの頭の中も同じように混乱していた。200kmマラソン?歌は?そもそも200kmもの距離を走れるのだろうか?ランニングの習慣があるあかりにさえ、200kmなんて未知の領域だった。フルマラソンだって走れる気がしないのに…。
冴島はノンノンと言うように指を横に振りながら言った。
「みなさん、“一流のアーティストになる”ということはどういうことか、分かりますか?テレビ出演、大きな会場でのライブやコンサート、大型フェスへの出演...。私たちが目にするアーティストの華やかな一面は、すべて彼らの体力があってこそ成り立っているんです」
冴島はゆっくりと歩きながら話を続けた。「3時間のワンマンライブをやりきるのに、どれだけのカロリーを消費すると思いますか?1回のライブで3キロ体重が減るアーティストもいます。地方フェスに出演後、すぐに飛行機移動、翌日には東京のテレビ番組に出演するだとか…。こういった仕事も体力がないとやっていけないんですよ」
「去年、世界で最も楽曲が売れているアーティスト、テイラー・スウィフトが日本公演を行いました。彼女は3時間を超えるコンサートで45曲を歌い上げ、それを4日間連続でやり切りました。テイラーのすごいところは、こういったワールドツアーを行いながら、裏で楽曲制作を進めているのです。とんでもない体力。これが今、世界で一番売れているアーティストの姿です」
「私たちがどれだけ素晴らしいステージを用意し、みなさんの音楽がどれだけ素晴らしくても、そのステージに立つ体力がなければ、すべて無意味なのです」
冴島の言葉が会場に響き渡る。あかりは、この200kmという課題が適当な振るい落としなどではなく、BLUE OCEANが今後本気で推していくアーティストを選ぶための審査であると理解した。
「みなさんがこのオーディションで優勝したあかつきには、BLUE OCEANとの契約金1億円と沢山の舞台が用意されています。そのスケジュールをこなせるかどうか。これはとても大事なことなんです」
さきほど文句を言っていた人たちも「うっ…」と押し黙った。会場の雰囲気が少し落ち着きを取り戻した。
「ということで、200kmマラソン、正確には206kmマラソンなんですけどネ。概要をこちらのスクリーンで説明します」
巨大スクリーンに地図が表示された。地図にはイコパアリーナから東京、八王子までの道のりがマークされており、その道のりにはいくつかのピンが立ててあった。200kmマラソンの意義を理解はできたが、カーナビのような道のりを示されると、本当にこの距離を走れるのか?という不安を抱かずにはいられなかった。
スクリーンはスタート地点の映像に切り替わり、これから歩むであろうルートが映し出された。映像は、掛川市から藤枝市、焼津市、静岡市、富士市、御殿場市を進んでいく。ピンが立ててある場所は、給水ポイントや休憩所、宿泊施設だった。それぞれの給水ポイントなどを紹介しながら、カメラは進んでいく。富士から御殿場あたりはものすごい山道だ。映像は神奈川県に入り、厚木市、相模原市、そして東京、八王子の合宿所へと到着した。
ものの数分で終わったルート紹介に会場内が唖然とする中で、冴島氏は説明を続けた。
「この200kmマラソンを100時間以内にゴールすること。7月27日18:00までに合宿所にたどり着けた者が、次のステージにエントリーできます」
どうやら私たちはとんでもないオーディションに参加してしまったらしい。
想像を絶する過酷なオーディションに、会場内には「おい…」「200㎞なんて走れるのかよ」「すごい坂道があったよ…」と不安の声があちこちで漏れ出た。夢を追うということはこんなにも途方もない道のりなのかー。
参加者を置いてきぼりにして、冴島は「次、ルールですが…」と説明を続ける。スクリーンが切り替わる。
「ルールその1、グループでの参加者は、グループ全員がゴールする必要がある。
ルールその2、グループの順位は、グループ全員のゴールタイムの平均から算出する。
ルールその3、ズルをした者は即刻、脱落とする」
「このズルというのはですね、車に乗るだとか、電車に乗るだとか。みなさんがつけているゼッケンにはGPS発信器がついていますので、ズルをしたらすぐにバレます。ドローンでもみなさんのことをしっかり見ておりますので、くれぐれも不正をしようなんて思わないように」
「このICチップはそういうことだったんだ」
つみきちゃんがあかりの顔を見て言った。
「ただー、この200kmマラソン、一つだけ抜け道があります」
「なんだ、ちゃんと抜け道があるんじゃないか」「ガチで200km走るのかと思った」少しだけ会場の雰囲気が緩んだ。
「ルールその4、SNS投稿で、いいねの獲得数に応じて距離を短縮することができる。
1いいね1m換算とします。例えば320いいねを獲得すると、320mを短縮することができますし、10万いいねの大バズリをすれば100kmもの距離を短縮することができます」
「わああ!!!」これには喜んでいる者と、渋い顔をした者がいた。あかりは後者だった。あかりはYouTubeで活動をしてきたが、今まで“バズる”という経験をしたことがなかった。自分にはあまり有利なルールではないが、このルールで大きな差が生まれるかもしれないと危惧した。
「ふーん、バズればバズるほどスキップできるってことね」
ダルそうに聞いていたTikTokerはニヤッとしながら呟いた。
「SNSはTwitterでも、Instagramでも、TikTokでも、YouTubeでも。どれか一つ、みなさんが得意な媒体を選んでください。いいねによる距離短縮はみなさんのタイミングで行うことができます。距離短縮の申請方法はこちらのアプリをインストールしていただき…」
一通り説明が終わった。
「最後に。次のステージの課題はゴールをした者から順に知ることができます。では、次のステージで会えますことを。みなさまの健闘を祈ります」
そう言って冴島はステージを後にした。
"ゴールした者から順に次のステージの課題を知ることができる”
あかりはできるだけ早く、ゴールした方が次のステージの対策ができる分、有利だな、と考える。できるだけ早くー。
場内アナウンスが流れる。「第0ステージの説明は以上です。参加される方は、参加同意書を記入し、荷物を持って、スタッフの誘導に従ってください。参加を辞退される方はゼッケンを外し、そのまま出口からお帰りください」
場内アナウンスが終わると、腕章を付けたスタッフが現れ、「参加される方はこちら~」と拡声器で移動を促した。
「俺はここでメジャーデビューするんだ!」
「絶対に売れる…!!」
大半の参加者が同意書にサインをし、スタッフの後についていく。一方で、何人かは「200kmなんて絶対無理...」とつぶやきながら、出口へと向かった。
「もちろん、参加するよね?」
つみきちゃんがあかりを見上げる。
「うん。私は人生を変えるためにここに来たから」
二人は力強い筆跡で、「千種つみき」「くじらNo.1972」と同意書にサインをした。
*
ついに200kmマラソンのスタート地点に立った参加者たち。
7月のうだるような暑さの中、つみきとあかりは、大勢の参加者に囲まれていた。
「ゴール…しようね」
あかりは緊張と気合の入り混じった顔で隣にいるつみきちゃんに言った。
果たして200㎞も走れるのか、これからどうなるか全く分からなかったが、隣にいるつみきちゃんにこうやって話しかけられることが唯一の救いだった。一人ではこの緊迫した空気に耐えられそうもない。
「うん。わたし、歌を歌わずに脱落するなんて絶対、いや。何があっても絶対、ゴールまでたどり着く。わたしたち、ずっと一緒には走れないだろうけど、絶対、お互いゴールしよう。わたしは絶対諦めることはしないから」
「うん」ソロアーティスト同士、ライバルではあるが、同士として、あかりはつみきちゃんに何か絆のようなものを感じていた。それは学校生活で一番はじめに出来た友達のように、なにか特別な感じがした。
緊張した面持ちでスタートを待つ参加者の様子を、番組用のカメラがじっくりと映していく。あかりはカメラに気づき、帽子を少し深くかぶった。
7月23日、14時。
「それでは、第0ステージ、用意、スタート!」
冴島アキラがピストルを鳴らす。
”パァン”
約1000人が一斉に走り出す。
あかりも他の参加者に続いて走り出そうとした時、
「ねえ、ちょっと」
後ろから声をかけられた。
「え?」
あかりは振り向いて声の主を探した。
その間に、横にいたはずのつみきちゃんは、あかりが呼び止められていることに気付かず、集団とともに走っていた。
一瞬の出来事だった。つみきちゃんの小さな背中はもう見えなくなってしまった。