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第13話 むき出し

 17時10分。木々にはさまれた、なだらかな坂を登るあかり。

 あかりの意識は朦朧としていた。朦朧とする中で、これまでの道のりが走馬灯のように蘇ってくる。

 スタート時にゆい姉に声をかけられ、写真を頼まれた。その間につみきちゃんとはぐれ、ドベ2からのスタートになった。1日目は焦ってずっと一人で走ってた。200kmという途方もない距離にくじけそうになった。

 倒れた夜、ゆい姉とKamiUra.に肩を支えられて歩いた。「脱落?脱落なんてしたくありません!」「私は大丈夫なので、先に行ってください!」初めてわがままを言った時のこと。

 つみきちゃんとの再会、ヨウヘイくんとつみきちゃんと3人での楽しい時間、ヨウヘイくんに一瞬で置いていかれた時のこと。雨宿りではじめて自分の内側を誰かに見せたこと…。

 朦朧とした意識の中、「ズキンズキン」という膝の痛みだけがあかりを現実に繋ぎとめていた。時計に目をやると17:13。

 まだ5km以上残っているが、あかりたちの歩みはもう幼稚園児のよちよち歩きのように少しずつ前に進むのが精一杯だった。

「このままじゃ間に合わない…」

 ペースをあげたいのに、もう一段ペースをあげられるほどの体力は残されていなかった。限界だ。「ここまでなのか…」自分は結局、有象無象の一人でしかないのか。

 これまでの人生を思い出すあかり。一生懸命やった分、上位にはいるけど、トップクラスにはなれない。勉強でもスポーツでも、習い事でも、仕事においても。学年順位13位、奨励賞、他に優秀な誰かに拍手を送っている自分。特別にはなれなかった自分の姿を思い浮かべる。

 歌もそうだ。あかりのYouTubeの登録者数1万というのはYouTubeの投稿者全体で見れば上位だ。でも、みんなが知ってるのは登録者数100万人とかそういうレベルの人たち。自分はどれだけ頑張ったとしても、そういう特別な人間にはなれない。

 これでも4日間、精一杯歩いてきたつもりだ。全力だった。だけど、このマラソンをゴールできる人というのは、ヨウヘイくんのいる青のカケラのような、KamiUra.のような、ゆい姉のような特別な人なのかもな、と思う。自分みたいな人間にはここが限界か…。

「それでも…」
 一筋の希望を託してTwitterを見るあかり。

「あと2kmくらい距離短縮ができれば。2000いいねくらいあればなんとか間に合う…。」

 あかりが最後にTwitterを更新したのは52分前。つみきちゃんと雨宿りした時に撮った写真だ。「ラストスパート!最後まで頑張ります!」と添えた投稿のいいねは412件…。

「……。そんな、奇跡が簡単に起こるわけないよなあ」

 ズキンズキンと膝が痛む。あと45分で5kmを歩くのは、とても今の自分たちには無理だ…。

 うなだれて歩くあかりはいつの間にかつみきちゃんと2mほどの距離があいてしまっていた。前方を歩いていたつみきが振り返る。

「くじらちゃん!わたし、諦めてないから!!!!」

 つみきちゃんの目にはまだ闘志が宿っていた。その目はスタートの時と変わらない。

「わたしは絶対、絶対、ゴールするから!!」
「歌おう!わたしたちは歌いに来たんだよ!!」

 つみきちゃんはスマホを掲げた。そして、流れたのは

「どんなに打ちのめされたって
悲しみに心をまかせちゃだめだよ
君は今 逃げたいって言うけど
それが本音なのかい?
僕にはそうは思えないよ
何も実らなかったなんて 悲しい言葉だよ
心を少しでも不安にさせちゃだめさ
灯りをともそう」

 サンボマスターの「できっこないをやらなくちゃ」

 つみきちゃんの歌声とサンボマスターの歌詞がダイレクトにあかりに届く。

「歩いて間に合わないなら、Twitterを使ってでも、なんでも、ゴールすればいい!」
「まだゴールできるよ!」

 つみきちゃんも、今のペースではゴールに間に合わないだろうと悟っていたはずだ。でも、絶対にゴールすると決めているんだ。なんとしてでも、ゴールしようとしている。

「あきらめないで どんな時も
君なら出来るんだ どんな事も
今世界にひとつだけの
強い力をみたよ」

 どんどん、力がみなぎってくる。つみきちゃんはすごい。サンボマスターはすごい。音楽はすごい。私の真っ暗な人生で、ここまで生きて来れたのは音楽があったからだった。あかりもiPhoneを取り出し、ビデオの赤いボタンを押す。

「君ならできない事だって
できるんだ本当さ ウソじゃないよ
今世界にひとつだけの
強い光をみたよ」

 あかり&つみき
「アイワナビーア君の全て!」

「みなさんのいいねが大きな力になります!最後まで頑張るので、いいねを押して応援してください!」あかりはそう添えてTwitterに動画を投稿した。

 今までのあかりだったらこんなことは絶対言わなかった。誰かの負担にならないように。自分の失敗は自分でとれるように。いつだってあかりは自分の範囲から出ないようにしていた。

 でも、そんな自分の殻にこもっていては、このマラソンはゴールできない。

 あと40分。「なんとか…」あとはフォロワーさんに願いを託して、自分は地道にこのマラソンを歩けるところまで歩くしかない。

 17時30分。残り4.2kmー。

 あかりはたちは木々に囲まれていた道を抜け、住宅地を歩いていた。つみきが前、あかりが後ろ。2人はハァハァと息を切らして歩く。そこに「ピロン」とiPhoneから音がする。2人に運営からメッセージが届いた。最後のいいねによる距離短縮の申請をしてください、ということだった。

「もう、最後の申請…」10分前に投稿したばかりだ。「あと2000いいねは欲しい。でも、さすがに…10分じゃ…」

 あかりはTwitterを開く。いいねだけではなく、引用リツイート、タグづけなど沢山の通知が届いていた。フォロワーさんが、必死で、色んな形で、くじらNo.1972を広めようとしてくれていた。

 あきら55@akira55:「僕がYouTubeで応援してる子が、オーディションに挑戦しています!どうかいいねを押して応援してあげてください!」

 ソワレ@kissasoware:「こんなにボロボロになりながら最後まで走っています!いいねでくじらNo.1972さんを応援してください!#BLUE STAGE」

 ゆうき@yuuu-ki06:「恥を忍んでリア垢でも宣伝!!みなさんいいね押してください!!」

 パソコンの前に座る、W.field🍓は#BLUE STAGEのハッシュタグをつけて呟いている人に「くじらNo.1972さんいいですよ!よかったら見てください」と次々にリプライをつけて回っていた。

 あかりの「みなさんのいいねが大きな力になります!最後まで頑張るので、いいねを押して応援してください!」という投稿に、「くじらちゃんが言うなら…!」とフォロワーさんも一緒に闘ってくれていたのだった。

「わたしのために…!」あかりの胸が熱くなる。

 あかりのいいね数は、「最新の投稿が1423、一個前の投稿が508件…!!」合計1931いいね。あかりは最後に、1.9kmの距離短縮申請をした。。

 あかりとつみきはスキップ車に乗り込む。

「ありがとう。つみきちゃんのおかげだよ」
「だから~、はやいよ、くじらちゃん!それはゴールした時だって」
「うん、絶対、わたしゴールする」

 17時40分。残り2.3kmー。

 あかりは一人でスキップ車を降りた。ここからは、もう自分と時間との戦いだ。あかりは自分に言い聞かせる。何が何でも、絶対に間に合わせる。

 たくさんの力を借りてここまで来た。たくさんのフォロワーさんに応援してもらった。

 少し先で、つみきちゃんが車を降りたのが見える。つみきちゃんはどんな時も絶対諦めなかった。わたしも、絶対に諦めない。

 そして、続々と、最後の距離短縮をしてきた参加者が車を降りてくる。

 その姿はみんな、もうボロボロだった。同じように、あの時の雨に打たれ、進んできたんだろう。みんなの服や身体には泥がついていた。みな顔からはとめどない汗が滴り落ちてきている。

 そして、今、あかりの少し前のところで、スキップ車を降りてきたのは、「ゆい姉…?」ゆい姉はもうとっくにゴールしているかと思っていた。ゆい姉のレギンスにも、泥の跳ね返りがついている。いつも完璧にカールしているゆい姉の髪の毛が、汗でまっすぐに戻ってしまっている。いつもの余裕を感じる表情じゃない、ハァハァと息を切らしている。ゆい姉にとっても206㎞という距離は、簡単な距離ではなかったのか。

 時刻は17時50分。浅川橋南の信号を右折すると、国道166号線に出る。ゴールまであと900m。そしてー。やっと見えた。少し小高い丘にある、白い、巨大な建物。ゴール地点、八王子合宿所。

「見えた…!」あかりがスマホの中で何度も何度も見た白い、四角い建物。6200坪の合宿施設には、スタジオ、レコーディングルーム、作曲ブース、ジムなど、最高の設備がある。胸を高鳴らせた1か月半前。

 絶対に行きたい。絶対、ゴールしたい。あかりの足はもうしびれていて、ほとんど感覚がない。「ズキ、ズキ」という膝の痛みが、そこにあるだけ。それでも、腕を振り、歯を食いしばり、前に進もうとする。

「あと少し、あと少し…!!!!」

 あかりの頭の中ではBUMP OF CHICKENの「窓の中から」が流れる。

 後ろからつみきちゃんの小さな背中を追いかける。つみきちゃんのトレードマークであるサラサラの黒髪ストレートは、いつの間にかヘアゴムで雑に束ねられている。小さな肩が「ハァハァ」と苦しそうに上下している。

 あかりの少し前にいるゆい姉の顔が見える。いつも、完璧に束になっているゆい姉のつけまつげは半分取れかかっている。ゆい姉はそんなことを気にしていられない、とばかりに滴る汗をタオルでぎゅっと拭き、必死の形相で前に前に、と前傾姿勢で歩いている。

 最後の一本道。仲間を背負いながら進むもの、腰のあたりに手を当てながらフラフラと歩くもの。足を引きずるもの。「うぅ…」とか「ハアハア」という苦しそうな吐息が聞こえる。

「みんな余裕なんて1mmもないんだ」とあかりは思った。「みんな、本気で、むき出しでやってるんだ」あかりは手のひらをぎゅっと握る。

 あかりの腕時計は、17時55分を指していた。残り時間はわずか5分。絶対、諦めない。

 17時57分。あかりは汗でぐちゃぐちゃになった前髪をかきあげる。酷い姿だ。でも、そんなことどうでもいい。ゴールするんだ。

 17時58分。間に合え。間に合え!足を着地するたびに、膝の痛みが全身に伝わる。

 17時59分。あと1分。一足先にゴールしたつみきちゃんが叫んでいる。

「くじらちゃん!間に合う!間に合うよ!!!」

 あかりは最後の力を振り絞って、ゴールの合宿所の門まで駆け抜けた。

 【くじらNo.1972 17:59 ゴール。第0ステージ、クリア】

 信じられないくらいの達成感があふれ出る。「私、本当にゴールできたんだ…!」涙が止まらない。これまでの苦しみが一気に溢れ出した瞬間だった。

 あかりがへたり込んでいるところにつみきちゃんが「やったね!」と手を差し伸べる。

「つみきちゃん、本当にありがとう!」
「うん!」

こうして、あかりとつみきは次のステージへの切符を手にしたのだった。


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