第2話 合否のメール
オーディション応募の翌日。あかりは上司の佐野と2人きりで会議室にいた。
「急で申し訳ないのですが、来月で退職させていただきたいと思っています」
突然の申し出に驚く佐野。
「どうして急に。何か嫌なことがあるとか?忙しすぎるっていうなら仕事を調整することもできるし…」
「いえ、もう決めたんです!残り1か月、引継ぎはしっかりやります!本当に申し訳ありませんが、退職させてください!!」大きな動作で頭を下げたあかりの顔は晴れやかだった。
*
一方その頃、BLUE STAGEプロジェクト本部では。
アシスタントがパソコンで応募動画をチェックし、瞬時に合格、保留、不合格フォルダに振り分けていた。
そこに統括プロデューサー冴島アキラが現れ、「オーディションの応募具合はどうだ?」と尋ねる。
「すごいですよ!総応募数は15万人を超えました!」
「15万か」冴島アキラは満足そうに顎に手をあてる。
「それで原石はいたか?」
「はいっ!」アシスタントは目を輝かせる。
「冴島さんも共有ドライブの“合格”フォルダから原石を確認することができますよ」
冴島アキラは「それは楽しみだ」と言いながら、部下にタブレットを用意するよう指示し、奥の会議室に消えていった。
冴島アキラが去った後もアシスタントは次の動画を再生する。
ファイル名「124985伊藤あかり.mov」
アシスタントは6秒間、あかりの歌声を聴いた後、動画を“保留”フォルダに移動させた。
*
あかりがオーディションに応募してから1ヶ月が経った。退職まであと1週間ほどになったが、オーディションの結果はまだ届いていない。あかりは仕事中もソワソワし、トイレの個室で何度もメールが来ていないか確認し、Twitterで「BLUE STAGE オーディション」と検索しては、何か情報がないか探るが、特に目新しい情報は見つからなかった。
「やっぱり、私には無理だったかな」あかりはがっかりとした表情でスマホをポケットにしまった。
*
あかりはその日の仕事を終え、後輩の西畑と一緒に駅に向かっていた。
「伊藤さん、本当に辞めちゃうんですかぁ。わたし伊藤さんいなくなったら…」
「大丈夫だよ!西畑さん、しっかり仕事覚えてくれているし!まあ嫌な人もいるけど、この会社には優しい人もいっぱいいるから。みんな、助けてくれるよ」
「でも、なんで急に…」
西畑が尋ねようとしたとき、あかりのスマホが振動した。あかりは西畑に笑顔を見せながらポケットからスマホを取り出し、さっと通知を確認する。そこには「BLUE STAGE オーデイション 結果について」というメールが届いていた。
あかりの心臓がドラムロールのように激しく鳴り出す。「ごめん、ちょっと!急いで帰らなきゃいけなくなって!また明日!おつかれさま!」あかりは走りだし、人けのない裏路地に入った。心臓が今にも飛び出そうだ。あかりは意を決して「BLUE STAGE オーディション 結果について」をタップする。
伊藤あかり 様
この度は[BLUE STAGEオーディション]にご応募いただき、ありがとうございました。
厳正なる審査の結果、書類審査通過となり次の審査に進んでいただくことが決定しました。
つきましては添付させていただいた資料の通り、7月23日静岡県イコパアリーナにて次の審査を行いますので、ご確認お願いいたします。
なお、ご不明な点がございましたら、ご遠慮なくお問い合わせください。
BLUE OCEAN Entertainment
BLUE STAGEオーディション 運営スタッフ
あまりに簡素なメール文に、落ちたと思うあかり。
「厳正なる審査の結果、書類審査通過… 通過あ!?」
信じられない、書類審査に通ったんだ!心臓はまだドキドキしているが、さっきとは違うドキドキだ。震える手で、添付ファイルを開く。
次の審査は、今日から9日後の7月23日から、1週間かけて審査が行われる。審査内容は会場で発表するとのこと。
「会場は静岡…イコパアリーナ…!?」あかりは一度、友達に連れられてイコパアリーナで男性アイドルのコンサートを見たことがある。確かキャパ1万人は入る大きな会場だ。
まさか、いきなりここで歌うってこと…!?
*
7月23日、審査当日。あかりはスーツケースとキーボードを背負い、静岡県の愛野駅にいた。なんだか…。周りを見渡すと、あかりと同じようにスーツケースや楽器ケースを持ち歩いている人がいっぱいいる。これ、もしかしてみんなBLUE STAGE参加者なのかな…?既にカラフルなフリフリのステージ衣装を着ている女の子たちもいれば、ゴリゴリにタトゥーの入ったスキンヘッドのお兄さんまでいる。少し細さを感じるあかり。
あかりはスマホの地図アプリを閉じ、みなが歩く方向についていくことにした。そこで、ギターケースを背負い、右手に大きなスーツケース、左手にトートバッグを持ってよたよたと歩く小柄な女性が目に入った。小さな体には見るからにキャパオーバーな荷物だ。大丈夫かな…?あかりが後ろから心配そうに見ていると、その女性は、道の窪みにスーツケースをひっかけ、転んでしまった。
「大丈夫ですか?」あかりは女性が転んだ時に手放したトートバッグを拾って駆け寄った。
顔を上げた女性を見た瞬間、あかりの目は丸くなった。長い黒髪に大きな目。可愛らしい顔に見覚えがあった。
「もしかして千種つみきさん…?」
つみきは「あ…うん(照)恥ずかしいところみられちゃったな」と言いながら立ち上がり、あかりが拾ったトートバッグを「ありがとう!」言って受け取った。
千種つみき(24)は 同じ愛知県で活動しているシンガーソングライターだ。ライブハウスや路上ライブで精力的に活動している。あかりはTwitterで頻繫にライブの告知や活動報告をするつみきをすごいなと思いながら見ていたのだった。実はつみきとは相互フォローの仲でもある。
「私も愛知出身で!つみきさんのことずっとTwitterでフォローしてたんです。」つみきのTwitterアカウントは1211フォロー、4092フォロワー。自分のことなんて知らないだろうと思い、相互フォローのことは黙っておいた。
「フォロワーさん?えっ!すごい!アカウントはなんて名前で?」
あかりはつみきに名前を聞かれ、ドキっとする。なにせ、くじらNo.1972という名前はネット上でしか名乗ったことのない名前だ。現実世界でその名前を口にするのは何故かすごく恥ずかしかった。
「あっ…くじらNo.1972という名前で…」答えないのも変なのであかりは誤魔化すように早口で答える。
「え!くじらさん?くじらさんのこと、つみき知ってる!!YouTubeで歌ってみたあげたりしてるでしょ!!」
まさかつみきもくじらを知っていると知って、恥ずかしくなるあかり。
「そうかあ!くじらさん、はじめまして。ライバルになるけどお互いがんばろうね!」
そうして、あかりはそのままつみきと喋りながら一緒に歩いていった。
「ところでくじらさんって何歳?」
「25です…」
「わっ!わたしの1個上?敬語辞めてよお」
「あ、はい。いや、うん…!」
あかりはひとりで駅に着いたときとは違い、隣に笑っているつみきがいることで、心強さを感じた。そして、ついに2人は次の審査会場、イコパアリーナに到着した。