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ひとりが好きになった時の話

ここ1週間、いつも住んでいる町を離れて、ちょっとした小旅行を楽しんでいます。最近は24年間住んだ土地から引っ越しをしたり、仕事を辞めたことに伴う各種手続きをしたり、次の仕事を探したりで気が休まる瞬間がまるでなかったのでね。ちょっと自分を見つめなおそうと思って。

もともと旅行が大好きで、コロナになる前はよく遠出していました。友達や彼氏とわいわい旅行をするのも楽しいのですが、一人でふらっと旅をするのも大好きです。

この街に、私のことを知っている人はいない。

という感覚が好きで。
誰に合わせるでもなく、自分の意志だけで探検できるというその『自由感』がいいんです。知らない街で、予定なんか立てずにプラプラして、知らない店の知らないマスターと楽しく談笑したりなんかしていると、自分は意外とどこでも生きていけるし、何事も何とかなると思えて、自分を取り戻すことができる感覚があるのです。
こういう話をするとたいてい暗い印象を持たれてしまうのですが、これって暗いんでしょうかね。私としてはいたって前向きな感覚なのですが…。

昔は、必ず誰かと一緒にいる子供でした。お母さんの半径1メートルから離れられなかったし、学校でも常にだれかと一緒に遊んでいました。一人は怖いと思っていたのもあるのですが、たぶんあの頃の私は単純に、人といるのが楽しいと思っていたのです。『おしゃべりな子』で近所じゃ有名でした。友達の多さがステータスだと思い込んでいた時期もありました。たくさんの人の話を聞くのは学びがあるし、どんなに考え方が自分と違う人の意見も面白いと思って聞くことができていました。

それが覆ったのが、大学生になってからです。特に努力もせず、楽に入れそうな大学にテキトーに入ったのがよくなかったのでしょう、人生でこんなに仲良くなれない人がいるのかと、驚くような人たちとたくさん出会いました。どんなに合わせようとしても、その考えに共感できない。恋愛の話も、勉強の話も、将来の仕事の話も。何を聞いても「学びにならない」と思うようなことの連続でした。授業中にメイクしたり、講義をしている教授を盗撮してゲラゲラ笑ったり、聞こえるように悪口を言ったり。話だけでなく普段の行動さえ、本当に心から「関わりたくない」と思ったのです。(全員がそう、というわけじゃありませんでしたが…)

私は今まで周りの人たちに恵まれていただけで、だれとでも仲良くなれるわけでないし、だれとでも仲良くなる必要はないんだと、この時気づきました。だんだんと、私の感情は驚きから苛立ちに変化し、大学の人たちから次第に距離をとるようになりました。苛立ちが言葉となって口から飛び出してしまったことも、一度や二度ではありませんでした。

そこからです。ひとりでいることの良さに気づいたのは。
「誰か」がいなくても、私一人でも楽しいという感情になれると気づいたときはなんだか自分が誇らしくって、一人でにやにやと幸福感を味わうことも増えました。自分ひとりでも、こんなに楽しむことができる。こんなことができる。今まで知らなかった自分と出会うことができたのです。もう自分を殺さなくてもいい。もう自分を出すことで無駄に傷つかなくていい。そう思うと、本当に心に羽が生えたようでした。

そこからは、本当に大切な人と密な時間を過ごすことを大切にしました。自分と合わない人とは最低限のコミュニケーションで済ませるんでいいや、と決めるだけでこんなに生きやすくなるなんて!

みんなと仲良く。それも素敵なことなのかもしれません。でも無理に多くの人に合わせたり、多くの人と心を通わせようと心をすり減らすと、不器用な私は逆に搾取されてしまう。それなら、もっと自分軸に考えよう。自分のキャパを超えたコミュニケーションは行わずに、いろんな人の中から一緒にいたいと思う人を探そう。と考えました。

どれほど稼いでいるかとは、どんな所に住んでいるかとか、どんな仕事をしているかとか。それももちろん大切なことです。でもそんなことより、「誰か」に依存することなく、自分で自分を幸せにする術を知っている。それこそが、「自立した大人」の姿なのかなぁ、と思ったりします。

もし最近、他人に合わせすぎて疲れてしまったとか、周りに搾取されている気がする、という人はぜひ見つめなおしてみるのをお勧めします。他人中心に考えすぎていないか、自分をもっと中心にして考えることはできないかを。


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