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娘でいられる時間

昨年、いつもは一緒に帰省する夫を東京に残して、ひとりで帰省したことがあった。
父・母・私の3人だけで過ごした数日。
運転免許は持っているものの完全なるペーパーゴールドであるため、遠出する時は父に運転をお願いする。
近場は母と、ふたりでぶらり。
3人だけで過ごす時間は久しぶりで、まるで結婚前の、一緒に暮らしていたころに戻ったような錯覚に陥った。

2020年の始まりは、妹家族がインフルエンザでダウンし帰省を諦めたため、父母と私たち夫婦だけの静かなお正月だった。
いつもは3家族で賑やかに向かう初詣も、4人だけ。
姪に対しての「伯母」という役割がないうえに、元日は体調を崩し寝込んでしまったこともあり、この時もすっかり「娘」に戻っていた。

東京へ戻る新幹線に乗る駅まで、車で送ってくれた父。
改札へ向かう私たちに手を振る父の姿を見て、ふと、あと何回こんな時間を過ごせるんだろうか……と思ってしまった。
70代になった父。
帰省するのは、だいたい年2回。
ありがたいことに、父も母もまだ大きな病気をしたこともなく元気でいてくれるけど、他愛もないことを話ながら過ごせる時間は、思っているより少ないのかもしれない。

私は2人姉妹の姉で男兄弟がいないからか、こどもの頃から親との関係を長男的視点で見てしまうことがある。
父の兄姉には皆、息子がいるからかもしれない。
祖父の葬儀のときは伯父が喪主をしている姿を見て、私もいつか喪主をするのだろう…などと考えていた。
祖母が、私の結婚相手は同じ県内出身の次男だと知った時とても喜んでいたのも、父に息子がいないからだろう。
母は私に、立場にとらわれることなく自由に生きなさいと言ってくれたけど、父はどことなく妹よりも私に厳しいことが多く、無意識ながら長男的な役割を求めていたのかもしれない。
父自身が末っ子で残すものがないゆえ、婿を取れとは言われなかったけど。

20代のころは、早く結婚をしろとうるさい父とぶつかることが多かった。
私の結婚後は、あまり口には出さなかったけど孫も期待していたと思う。
(私の結婚が決まったころ妹が初孫を身籠もっていた。妹はチョコレート嚢胞治療後の妊娠だったので、妊娠がそう思い通りにはいかないことを理解していたようだ。)
父には不妊治療のことを直接話してこなかったけど、ほとんどのことを母から聞いていたからか、いつからか夫婦ふたりのしあわせを考えればいいと言ってくれるようになった。
今では、話していて喧嘩になるようなことはほとんどなくなり、父が過去にしてきた仕事などの話を聞くことが増えた。

聞きたいことも、聞いておかなければならないことも、まだたくさんある。

なにか親孝行をしなくては……と日に日に強く思うようになってきたのは、歳を重ねただけかもしれないけれど、命のバトンを次に繋いでいないからかもしれない。

帰省する回数を少し増やせたなら、それもきっと親孝行になるのかな。


*****

春になると部屋に飾りたくなるチューリップ。
時間とともに花びらの色が抜けていく姿は妖艶で美しく、咲き始めたころの初々しい姿とはまた違った魅力を放ちながら、花びらが落ちるその時まで楽しませてくれた。
「かわいいだけの花じゃないのよ」を言われているような気持ちになり、人が歳を重ねていくさまも、こうありたい。

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