oyanoko

エディトリアル・グラフィックデザイナー、時々インテリアショップ店員。料理人の夫とふたり暮らし。不妊治療を経て思うこと、日々の暮らしのことなどを。instagram▶︎@noko_oya

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最近の記事

いつかの憧れを手にした日

桜が満開に咲いていた頃。 近所の桜並木の近くで、豊かな白髪のご婦人が山葡萄のかごバッグを持って歩く後ろ姿を見かけた。 つややかで美しく、まるで革のような山葡萄らしい経年変化を遂げているその姿を見て、きっと彼女に長年連れ添ってきたんだろうと思い、その年月にも思いを馳せた。 山仕事の籠などにも使われてきた山葡萄は、とても丈夫で雨に濡れても問題なく、真竹のかごバッグなどより多少乱雑に扱っても大丈夫なんだそう。 もう数年通っている、審美眼に優れたオーナーが運営されているギャラリーで

    • 持ちものを見つめ直してみたら

      バッグやポーチの中身と、暮らしぶりや価値観について紹介させてほしい。 そんなご依頼をいただき、「北欧、暮らしの道具店」さんの読みもの連載『あの人のバッグ』の取材にお答えしました。 https://hokuohkurashi.com/note/225488 普段、鞄の中に入れているモノに対して意識していることは、ひとつ。 「色を揃える」 以前は、お財布・ポーチ・カードケース…など鞄に入れるアイテムは、それぞれ好きな色や柄のものを好きなように選んでいました。 でも、ふと、色

      • やめどき

        39歳になり、1週間ほど経ったころ。 これが最後と臨んだ人工授精もうまくいかなかったと判ったその日、私の不妊治療は終わった。 あれから2年が経ち、いまだから思う不妊治療の「やめどき」について。 不妊治療のやめどきに、きっと正解はない。 ただ、今になって分かったことは、「もうやりきった」という気持ちで終えることができれば、いつかその気持ちはだんだん晴れてくること。 現実を受け入れ、前を向けるようになるまでの時間は、人それぞれ。 不妊治療をやめるとき、「こどものいる人生」「こど

        • 娘でいられる時間

          昨年、いつもは一緒に帰省する夫を東京に残して、ひとりで帰省したことがあった。 父・母・私の3人だけで過ごした数日。 運転免許は持っているものの完全なるペーパーゴールドであるため、遠出する時は父に運転をお願いする。 近場は母と、ふたりでぶらり。 3人だけで過ごす時間は久しぶりで、まるで結婚前の、一緒に暮らしていたころに戻ったような錯覚に陥った。 2020年の始まりは、妹家族がインフルエンザでダウンし帰省を諦めたため、父母と私たち夫婦だけの静かなお正月だった。 いつもは3家族で

          もうひとつの選択

          子育てがしたい。 自分のお腹からこどもが生まれることはないのだろうという現実を受けとめたあと、頭に浮かんできたのは『特別養子縁組』だった。 いろいろと調べたのち、それとなく夫にこの話題を出してみたところ反応はいまいち。 それもそのはず、私たちの財布は不妊治療ですでに空っぽになっており、金銭的に今すぐ特別養子縁組の準備に取りかかれる余裕はなかった。 また、もしかしたら夫の方が不妊治療の結果を受けとめることに、時間がかかっていたのかもしれない。 「いずれそんなことも考えられた

          もうひとつの選択

          tontonと夏休み

          今年の夏休みは、夫婦揃って少し長めに取ることができた。 その夏休みのうち3泊4日は私の実家で、同時期に帰省していた妹家族と一緒に過ごしてきた。 妹家族には、5歳になる長女と6月に生まれたばかりの次女の2人の娘がいる。 5歳の姪は夫のことが大好きでたまらないらしく、会えば「トントン~!」と夫の元へ飛んでいく。 (※トントン:tonton=フランス語で「おじさん」。妹夫婦は仏日カップルのため姪は日本語とフランス語を同じくらい操り、私のことは「タタ:tata(仏語でおばさん)」と

          tontonと夏休み

          8月4日

          1度だけ、病院で「おめでとうございます」と言われたことがある。 「8月4日」 手渡されたピンク色のメモ用紙に書かれていた日付。 出産予定日だった。 しかし「おめでとう」と告げた医師は、その言葉とは裏腹に少し曇った表情をしていた。 「数値が低いんだよね」 陽性ではあるものの、妊娠反応を示す数値が平均よりだいぶ低かったのだ。 低いことによって懸念される症状のひとつとして「子宮外妊娠かもしれない」と告げられた。 「とは言え、1週間後の診察までに数値がぐんと上がって分娩までいく人

          きっかけ

          「メンタル強いね」 不妊治療の結果が陰性続きだったころ、友達親子と遊んでいる私をみて同じく不妊に悩んでいた別の友達が、私にかけた言葉。 確かにそうだった。 もちろん、治療がうまくいっていないときは気分が沈んでしまうし、お腹が大きくなった妊婦さんやこどもを連れて歩いている人とすれ違うと羨ましく思うこともあった。 人によっては子持ちの友達に会うことすら、辛いと思うこともあるだろう。 この友達との話題がこどものことだけではなかったから、という理由もあったのかもしれないけれど、そ

          きっかけ

          経緯

          自己紹介がわりに、不妊治療の簡単な経緯を。 34歳で入籍、10カ月後に結婚式を挙げることになり友人にドレスの制作をお願いしていたため、式までは妊娠の計画を立てることはなく。 挙式後、妊活をすれば自分はすぐに授かるであろう……と思っていた。 このころ持っていた変な自信の根拠は、社会人になったばかりのころに婦人科系疾患で緊急入院して以来、定期的に婦人科へ通っていて、冷え性など不妊の原因になることには以前から気をつけていたからで、不妊に関する知識も人より多いと思っていたからだ

          プランB

          こどもの頃の「将来の夢」は? 幼稚園児のころは「幼稚園の先生」、その後は「絵を描く人」や「デザイナー」など。 父の影響で「建築」を進路に選ぼうとしたこともあった。 「これ!」と決めて目指したひとつの職業はなかったが、いつからか、ものを作ることに興味を持ちながら私は大人になった。 就職氷河期といわれる時代、私は社会人になった。 大学ではデザイン全般を学んだが、アパレルの販売員として就職し、プレス業などを経験してから方向転換。 DTPを学び直し出版社などに勤務後、現在はフリ

          プランB