経緯
自己紹介がわりに、不妊治療の簡単な経緯を。
34歳で入籍、10カ月後に結婚式を挙げることになり友人にドレスの制作をお願いしていたため、式までは妊娠の計画を立てることはなく。
挙式後、妊活をすれば自分はすぐに授かるであろう……と思っていた。
このころ持っていた変な自信の根拠は、社会人になったばかりのころに婦人科系疾患で緊急入院して以来、定期的に婦人科へ通っていて、冷え性など不妊の原因になることには以前から気をつけていたからで、不妊に関する知識も人より多いと思っていたからだ。
しかし、そう簡単ではなかった。
妊活を始めてから半年、妊娠する気配はまったくない。
36歳にもなることだし……と近隣のクリニックへ。
夫婦ともども詳しく検査をしてみたが、異常はない。
このクリニックでは、タイミング法を3か月、人工授精を3回行ったがかすりもしなかったため、迷うことなく高度治療(体外受精)のできる不妊治療専門のクリニックへ転院。
私は採卵〜受精卵にするまではスムーズに進むタイプで、1度目の採卵では移植を4回、2度目の採卵では移植を3回行った。
しかし、いつも移植後の結果でつまずいてしまう。
これで最後と決めた3回目の採卵では、3つの受精卵ができた。
この受精卵の1つめの移植ではまたしても陰性という結果だったため、2つ残っている段階で、一度子宮や卵管に問題がないか確認するための腹腔鏡下手術を受けることにした。
手術の結果、軽度の子宮内膜症があるだけで大きな問題はなかったため、特にその他の治療などする必要もなく残りの移植を2回行ったが、結果は陰性。
39歳の誕生日まで諦めることができず、最後にステップダウンして人工授精を3回行ったが、やはりうまくはいかなかった。
私は、採卵で卵子を数個とることができ、そのほとんどが受精卵から3日目胚や胚盤胞にまでは育つけれど、移植するとうまく育たない……というパターンだった。
胚盤胞にいたっては、凍結前の受精卵はすごくいい状態なのに融解するとグレードがかなり下がってしまうという、医師も不思議がる結果。
初診時、36歳6ヶ月という年齢と検査結果(大きな問題もなく卵巣年齢も年齢相応)をみて、医師はそんな厳しい結果にはならないだろう……と楽観的な態度で接してくれたが、回を重ねるにつれ、妊娠できない理由も分からず、だんだん厳しい表情になっていった。
途中で転院も考えたが、金銭的にも体力的にもつらくなり、結局お世話になったのはひとつのクリニックのみだった。
一度だけ陽性反応がでたことがあったのだが、これは子宮外妊娠に。
「妊娠」という言葉こそ付いているが、病気扱いをされるもの。
この話は、またの機会に。
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