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8月4日

1度だけ、病院で「おめでとうございます」と言われたことがある。
「8月4日」
手渡されたピンク色のメモ用紙に書かれていた日付。
出産予定日だった。

しかし「おめでとう」と告げた医師は、その言葉とは裏腹に少し曇った表情をしていた。
「数値が低いんだよね」
陽性ではあるものの、妊娠反応を示す数値が平均よりだいぶ低かったのだ。

低いことによって懸念される症状のひとつとして「子宮外妊娠かもしれない」と告げられた。
「とは言え、1週間後の診察までに数値がぐんと上がって分娩までいく人もいるから、ひとまず様子を見ましょう」
その日は、そう言われて診察が終わった。
(体外受精での妊娠判定は4週目に血液検査で行われるので、エコーでは通常の妊娠でもまだ何も見えないのです)

1週間後の血液検査でも、平均の半分ほどの数値しかない。
医師の顔は、さらに曇っていった。
子宮外妊娠である可能性はますます高くなり、この日の診察では子宮外妊娠と確定した場合の手術方法や激しい腹痛が起きたときの対処法などを説明された。

子宮外妊娠はその名の通り、子宮以外の場所に着床してしまうこと。
その多くは卵管で起きるらしい。
「妊娠」と名が付いているものの妊娠を継続することは不可能で、病気として扱われるものだ。

次の診察までは2週間。
その間に何かあれば、すぐ病院に連絡するようとのことだった。

私は20代のころ、腹腔内出血(卵巣からの出血を疑われたがお腹を開かなかったため、どこからの出血だったのか正式には分からない。痛みの様子から妊娠の可能性があるなら子宮外妊娠かもとの所見もあった)で入院した経験があり、腹痛が起きたときの感覚は何となく予想できていた。
寝返りを打つこともできない、呼吸も苦しくなるような痛み。

その痛みは、突然やってきた。
6週を過ぎて数日たった日の朝5時頃、ずん!っと誰かにお腹を殴られたような痛みで目が覚めた。
かかりつけのクリニックはまだ開いていない。
子宮外妊娠の恐ろしいところは、着床した卵管が破裂すること。
それは命にかかわる症状だ。
救急車を呼ぶべきか……。
少し考えて、まずは7119に電話。
症状を伝えたところ、急変のリスクがあるので救急車で病院に行くように言われ、隣で寝ていた夫を起こし、近くの大学病院へ向かった。

エコーでの診察をうけたが、相変わらず子宮は空っぽ。
卵管にもそれらしきものは見えない。
しかし、血液検査では妊娠反応が出ている。
「このまま流産になるかもしれませんね」
大学病院ではそう言われ、妊娠反応がなくなるまでこちらに通院することになった。

数日おきに行われた血液検査で、だんだん減っていく妊娠反応の数値を見るたびにやってくる、妊娠が終わってしまうという悲しみと手術をしなくてもいいという安心感。
(このまま妊娠が継続してしまうと、おそらく卵管切除など手術になっていた)
複雑な気持ちで続けた通院だったが、そのまま妊娠反応の数値が0まで下がり、大学病院へ通うことはなくなった。
出産することになったらこの大学病院で産みたいんだと話したら、
次は妊婦になった姿で会えるといいね、と担当医は笑顔を見せてくれた。

夫は「僕に似て、ふらふらと好きなところにいってしまう子だったんだね。ごめんね」と言っていた。
この子宮外妊娠は、通算10回行った移植のうち2回目の移植でのできごとだったので、今度は普通に妊娠できるだろうから……そんな風に漠然と思っていて、「そうだね、次はふらふらしない子だといいね」と笑って返した。

しかし、その後、陽性反応が出ることは一度もなく、陰性と告げられるたびに「あのときの卵ちゃんが普通に育っていたら……」と考えてしまうことが増えていった。

あの妊娠が通常のもので無事に生まれていたら、今年で3歳を迎えていた。
性別すら分からない、その姿を見ることもできなかった、私たちのこども。
8月4日は、きっとこれからも忘れられない日のままだろう。

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