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話し合って決める
この何週間、
新聞や、インターネットの記事、
インスタグラムなどを見て、
どの政党、どの候補者に投票するか
考えていた。
自分が手に入れられる情報は
十分ではないかもしれない。
毎日のやることに追われて
手に入れられる情報を十分読んだり考えたり
できていないような気がしている。
それでも私は自分で考えて、決めた。
考える中で、
「親の時間」の仲間に
そのことを聞いてもらったら
いろんなことを思い出した。
小さい頃、習い事も出かける用事も
全部大人が決めていた。
私は知らされるだけ。
クリスマス会に連れて行かれた時は、
楽しかったのを覚えている。
夏休みの林間学校は最悪の思い出だった。
ピアノの先生は厳しかったのでいやで
よくサボっていた。
楽しくても苦しくても、
大人が勝手に決めたことだった。
唯一、ピアノをやめた後に、
何か習いたいことがあるかと両親に聞かれて
「ドラムを習いたい」
と答えたら、
母が「チンドン屋になるつもりか」と
怒って、却下されたのを覚えている。
(なんという貧相で差別的な発言!)
学校でも、
先生の側が何もかも決める。
勉強する内容だけじゃなく、
給食のメニューだけじゃなく、
遠足の場所も、校則も、
決められたことを受け取ってきただけ。
私のことを私は決められない、と
あきらめて育ってきたんだな、私。
そうやって大人になって、
親になって、
気づいたら、
子ども達のことを私がなんでも決めていた。
最初は気づきもしなかった。
親が決めるものだと
きっと思い込んでいたんだ。
習い事でも、お出かけでも、
遊びに来るお友達のことでも。
ある日、放課後の時間に
娘のお友達が私にかけ寄ってきて、
「Yちゃん(私の娘)のおうちに
遊びに行っていい?」
と聞いてきた。
私は用事もなかったので、ふたつ返事で
「いいよ」と言った。
その子はうちで夕方まで遊んで、
帰って行った。
しばらくして、娘が
「今日は〇〇ちゃんに来てほしくなかった」
と言ったのだ。
「ママ、私に聞かないで『いいよ』って
言っちゃうんだもん!」
私は、しまった、と思った。
謝って、
いつも仲良しだから、
もちろん娘も遊びに来てほしいだろうと
思い込んでいたと話した。
そりゃ、いろんな気持ちになるよね、
いつだって遊びたいわけじゃないよね。
ごめんね。
そう言ったら、
プンプンしながらゆるしてくれた。
「今度からまずYに聞くね」
それからは、
子ども達にかかわることを決める前に
まず聞くようにしている。
最初の頃はなかなか難しかった。
ついつい、私が決めてしまうのだ。
よく子ども達に怒られていた。
今でも、ついやってしまうと怒られる。
でも少しずつ
ささいなことでも、
「まず、話してから決める」
と意識できるようになってきた。
多分それは、
「親の時間」を何年も続けてきて、
私が自分のことを決める時に
考えや気持ちを聞いてもらってるからだ。
私にかかわることが決まる時、
私の気持ちや考えが尊重されるべきだと、
小さい頃から、人生の最初から
そうだったはずだと
いまは分かってるからだ。
それは、何でも自分の思い通りにする
ということではなくて、
自分の考えを聞いてもらい、
相手の考えも聞き、
話し合って決めるということだ。
そんなことを思い出していたら、
先日お母さん同士の集まりがあった。
テーマは給食のことだったのだが、
ひとしきり話したあと、
私は、(恐る恐る)選挙のことを
みんなどう思っているか聞いてみた。
政治のこと、戦争のこと。
思った以上にその場にいたお母さん達は
(お父さんも一名)
自分の考えや気持ちを話した。
私も話した。
みんな、それぞれの気持ちがあり、
考えがあり、
どのひとも他とは違っていて、
それがよく分かる、とてもいい時間だった。
選挙の前にあんな時間が持ててよかったな、
と思った。
今日はこれから投票に行く。
まりちゃん
※この文章は2022年7月に書かれたものです。