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大きな恐怖から気づいたこと

先日、あることをきっかけに
ひどい恐怖心にさいなまれました。

その恐怖心は日常生活に支障を
感じるほどで、
それは一週間もつづきました。
一週間、わたしは毎日仲間に
話を聞いてもらいました。

その恐怖は現在のわたしをとりまく
ある状況に関するものだったのですが、
ポイントがそこにはないことが
わかっていました。

それは、わたしが幼少期に感じたものが
形を変えて再現された恐怖でした。

いまのわたしは、幼少期の恐怖とは
無縁の場所にいます。
また、恐怖に対処できる年齢にも
なっています。
そうしたことが頭ではわかっていても、
信じがたいほどの恐怖心はつづきました。

それは、自分の中に
これほどのエネルギーを
かかえていたということに
驚くような体験でした。
聞きあう仲間のいなかった
幼少期の自分自身が
このような感情をもって
よく生きてこれたものだなあ、
と自分自身に感心さえしました。

その恐怖は、
わたしの父に起因するものでした。

わたしの父は感情のままに
怒鳴り声をあげるような人で、
家族はみな父に振り回されていました。
わたしが怒鳴られるとき、
母がわたしと父のあいだに
入ってくれることもありましたが、
母も父が怖かったのだと思います。
守ってもらえるという安心感は
ありませんでした。

父に怒鳴られるたびに、わたしは
「家から追い出される」と思いました。
母も自己保身のために、わたしを
捨てるのではないか、と感じていました。

このエピソードを仲間に
聞いてもらっているうちに、
わたしは何かがおかしい、と
感じ始めました。

父はわたしを実際に家から閉め出したり、
そのように脅したりすることは
ありませんでした。
ではなぜ当時のわたしは
「怒鳴られて怖い」ではなくて
「追い出される」と感じていたのか?

そう考えたとき、
気がついたことがあります。
「家から追い出される恐怖」を
持っていたのは
父のほうだったのではないか、と。

わたしの父は両親の離婚によって、
年の離れた兄弟や親戚のあいだを
たらい回しにされ、
苦労して育った人だと
聞いたことがあります。

いつ追い出されるかわからない
恐怖にさいなまれながら
少年時代を過ごしたのは
父だったのです。
そんなことを幼少当時のわたしは
知りませんでした。
知ったのは成人になってからのことです。
ですが、父の恐怖を読み取り、
自らの恐怖として
感じていたのだと思います。
言葉を介さなくても、
良い感情も悪い感情も
伝わってしまうものだと
あらため実感しました。

「親の時間」を続けてきて、
信頼して話しを聞き合うことのできる仲間と
安心できる場所の存在を
実感できる状態にあったからこそ、
心の奥底に押し込められていた感情が
開放されたのだと思います。

とても怖い思いをしましたが、
自分の中に恐怖と向き合う力も存在すること、
また、それを取り戻すことが
できるのだということは、
わたしにとって大きな発見でした。

これで決してわたしの恐れが
すべて解決したとも、
克服したとも思いません。
これからもきっと
様々な恐怖を感じることでしょう。
けれども、いまの自分は、
幼かったころとは異なり
問題に立ち向かう力を持っており、
また、助けてくれる人もいます。
ですから、きっと、
「恐怖を感じることがあったとしても
なんとかなるのかも」と
思えるようになっています。

匿名希望

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