40代後半になると、同窓会のお誘いがくる。
40代後半になると、同窓会のお誘いがくる。
20代後半から30代で結婚。こどもができる。
だいたい60%ぐらいの人が、20代から30代でこどもを生むというデータがあるので、60%ぐらいの同級生が40代後半で子育てから解放される。
子育てというのはすごくリソースを奪われる。自分の時間をこどもたちに捧げて習い事だとか送り迎えだとか、そういうものから解放されて、時間ができて、さて何をしようかなと思って。それで、同窓会に行くのかもしれない。
不思議なものだと思う。
中学校の時に特に仲が良かったわけでもない人たちが集まって、何を話すのだろうか。高校生の時に廊下ですれ違うだけで何も話したこともない同級生と何の話をするのだろうか。
子育ての話でもするのか?
ぼくは誘われてないんだけどどうなってんだ。という話ではなく。なんか良いよな、そうやって楽しそうに酒飲んで。っていう気持ちがほんのちょっとあることを否定するわけでもないんだけど。すごく不思議な感じがする。
中学生の頃のぼくたちは、当たり前のことだけどまだまだこどもだった。
死からはほど遠く、老いからも何光年も離れた所にいた。いつかはおじいちゃんになって、そしていつかは死ぬんだろうと理解はしていたけれど、それはきっといつまでも来ない想像上の未来の事だろうと思っていた。
50歳になると、老いはぼくたちの足の先を捕まえているし、死の気配もずいぶんとはっきりとしてくる。まだまだそれはおぼろげな煙のような感じだけれども、ぼくの足の先を捕まえている老いの感触をたどれば、いずれ死の存在に遠からずたどり着くとわかる。
こどもだった頃の感触を思い出したくて、中学生の時の親しくもなかった友だちと酒を飲んでるんじゃないだろうか。老いや死の存在を忘れるために、自分の若かったころの空気を思い出せる装置として旧友との時間を利用しているのではないだろうか。
もしそうだったら、なかなか良いなと思う。くだらないけど人間らしくて良い。
ぼくがこうして一人で文章を書いている間にも、日本中の居酒屋なんかで50歳ぐらいの人たちが中学とか高校の、たいして仲が良くなかった人たちとひさしぶりに会って、酒を飲んで楽しい時間を過ごしている。
そういう日本全国の架空の同級生たちの笑顔を想像してみると一人の夜もなかなか良い。年を取るのも悪くない。