生成AIを仕事で使うときに、もしかしたら一番大事かもしれないこと
この記事は生成AIが生活に入り込んでくることでどのようなことが起こるかを示唆しているかもしれない。
生成AIを研究に利用することで、アイデアを考える時間が半分以下に減って単純な反復作業の時間が増えたということだ。
例えばスマートフォンというものが生活の中に入り込むことでいろんな変化が起こった。良い変化もあるけれど、悪い変化の方が目立ってしまう。電車から降りてホームでも階段でもずっとスマホを見続けている若者は、あれはいったいなんなんだ。とか。そういう感じで。
目に見えない精神的なものも確実に変化しているはずで、例えば人々が誰かと待ち合わせをしているような空き時間に退屈することができなくなった。手持無沙汰な空き時間にぼんやりと考え事をする中で「あの時、あの人にあんな言い方をしてしまったけどちょっとまずかったなあ」とか、自分の行いを振り返ったり誰かのことを思い出す機会も減っている。
自分の頭で考える時間が減ってしまった。
自分の頭の中というのは庭とか菜園みたいなもんで、頻繁にそこを訪れて土を耕し種を蒔いて手入れをしてやらないと花も実も成らない。自分の頭の中にいる時間が多ければ多いほど自分が自分らしくなれるのだと思う。自分を形作るのは自分の意思でしかないから。そこから生まれてくるいろんな感情の芽を、良いものは大事に育てて、よくないものは丁寧に取り除いて、そうやって自分を良い状態に保ち続ける必要があるんだと思う。
スマホから情報という刺激を受け取り続けることで、自分の頭の中に向き合う時間が減ってしまう。それが一番の問題のような気がする。
生成AIはそこからさらに人間の考える力を奪うのかもしれない。なぜなら、代わりに考えてくれるから。
移動とか物を運ぶということを人力でやっていた時代に比べて、車とか電車ができたことで人間が非力になってしまったように、生成AIが人間の代わりに考えてくれるようになったことで人間の考える力も失われていくのかもしれない。
昔の日本人は1日に30キロも歩いてたらしいよ、みたいな感じで。
スマートフォンの使い方を間違ってはいけないのと同様に、生成AIの使い方も間違えてはいけないのだと思う。
自分の頭の中の菜園をより豊かにするような使い方ができると良い。
コツとしては、生成AIとかスマホからアイデアや情報を受け取った後には、しっかりと散歩などをして咀嚼してから次のステップに進むことではないだろうか。
筋トレは実は筋トレ自体よりもその後の回復の方が大事みたいな話で、頭に刺激を受けた後にはそれを自分の脳みそで咀嚼するためのぼんやりタイムが必要なんだと思う。
これからの経営者は、社員に生成AIを使用させる場合は、十分な「ぼんやりタイム」を取らせる必要があるということを考えた方が良いのかもしれない。