【創作小説】G I F T 2話
夜になると、バーGIFTに凛子さんを迎えにいく。
凛子さんはたいてい酔っ払っていて、何をどれだけ飲んだのかも覚えちゃいない。
ぼくは、アルコールと煙草の匂いに包まれながら、震える彼女を家まで運ぶ。
本当は知っている、飲んでも飲んでも、この部屋に近づくたびに、嘘みたいに、凛子さんの酔いが覚めてくことを‥
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朝は努めて会話を避ける。
最初の方は、頑張ってそれまでの日常を再現しようとしたけど、虚しさが、余計に目立って、取り返しのつかない現実に連れ戻されてしまうと分かったから。
そのかわり、朝ごはんは、炊き立てのご飯と、温かいお味噌汁を必ず用意するようになった。
テーブルに並べたそれは、ぼくが家を出るまでに手がつけられることはないのだけれど、きっと、そこに人が作ったモノがあるってだけで、安心だと思うから。
「凛子さん。行ってきまーす!」
挨拶も返ってこない。
これから凛子さんの日課が始まる。
家中を病的なまでに整理整頓した後、空き巣の入った後みたいに、ぐちゃぐちゃにしてしまう。
でも。
ぐちゃぐちゃにされたリビングで、凛子さんが何をしてたかくらいは、家に帰れば分かる。
散乱したモノの中で、綺麗なままのアルバムだけが、少しずつページを進めている。
今、凛子さんは記憶の中にいる。
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「なんとか間に合いましたね‥」
「ええ。和樹君の携帯にはあれから連絡あった?」
「いえ、まだなにも。きっと、大丈夫です。連絡がないのが何よりの吉報ですから」
「うん‥」
いつもより不自然に明るい、和樹君の顔が、不安を増長させる。
浩輔は、いま冷たいベッドの上で一人なのだろうか。
はやく側に行って、手を握ってあげたい。
「ごめん、ちょっと気が抜けてて」なんて、いつもの腑抜けた顔の浩輔を叱りつけたい。
「浩輔のやろうとしたことは優しなんかじゃないよ」そう、きちんと目を見て話したい。
いつもなら、すぐに寝てしまうフライトも、今日ばかりは、永遠に感じられた。
函館空港に着いて、タクシーを拾って、病室に駆け込む。そんなシュミレーションを幾度となく繰り返しながら、飛行機は空港に降り立った。
「道立函館病院までお願いします。急ぎなんです!」
発車して、すぐに足が痛んだ。
「凛子さん足。血出てますよ」
「ほんとだ‥。でも構ってらんないよ」
家からサンダルで出てきてしまったのだ。底がペラペラのサンダルが、何度もめくれたのだろう。爪から出血している。
「病院着いたら見てもらいましょう。」
「いいから、先に病室まで行くよ」
空港から、猛スピードで、駅の開けた所までつっきる間。
走馬灯のように、函館で過ごした青春時代を思い出す。
こんなときなのに、呑気だと、自分で自分が嫌になった。
「あの!搬送された、橋本浩輔の妻です!」
一瞬にして、暗くなった受付の看護師たちが、目を伏せるのがわかった。
一番年配の看護師が、「こちらへ」と案内した病室へ向かうと、白いベッドに、綺麗な顔の浩輔が横たわっており、その隣には白衣に身を包ませた、医師と看護婦が立っていた。
「浩輔!」
ぴくりとも動かなかった。
心電図も、点滴らしきものも、何もない。
ただ、寝てるみたいに。
東京の狭いアパートで。私の隣で安心しきって、ぐっすり眠っているみたいに見えた。
けど、何度言っても、止まらなかったいびきだけが聞こえなかった。
「奥様。処置はしたのですが。脊髄に強い衝撃が加えられたようで。お電話してから一時間後の、7時41分。息を引き取られました‥」
音が、光が、体温が
私の中から消えていった。
浩輔の手を握った私の手が、遠のく意識の中で最後に見た景色だった。
2020年8月8日
GIFT
taiti
貴重な時間をいただきありがとうございます。コメントが何よりの励みになります。いただいた時間に恥じぬよう、文章を綴っていきたいと思います。