通信簿
お久しぶりです、親子丼です。
あっという間に年末。街中にはクリスマスツリーがたくさん、私もキラキラモードに同化したくてモスグリーンのタートルネックばかり着ています。
先日24歳になりました!
読んでくれているアナタ、お祝いありがとうございます!
誕生日って1年の通信簿だと思います。
今年は職場の人だけでなく、色んな旅先で人を大事にする方々と出会うことも多くて。
ありがたいことにメッセージや電話を貰いました。そういう面々を見ていると、この1年こんな人たちと関わってきたのかぁ、としみじみ。
逆に、昨年お祝いしてくれた人からはメッセージが届かないこともあって。
誕生日を祝うことは愛情表現のひとつに過ぎないので、祝われなかったから大事にされてないってこともないけれど、私は今年こんな人と接したんだなあって振り返りになっていますね。
私はつくづく選ばれていると感じる。
自分の人生を振り返っても、生徒会の選挙、推薦入試、サークルやインターンの面接といった人生のステップになるものから、ご飯の誘い、LINEの話し相手といった日常的なことまで。
自分が誰と仲良くなろうか、どんな団体に入ろうかと選んでいるように、私も周囲から選ばれているのだ。
私は友達や仲間が多いわけでもない。
周りからすれば私はなかなかのクセ物らしいし、綺麗な容姿でもない。
私を好む人や嫌う人よりも、私に無関心な人の方が圧倒的に多い。
選挙のような、不特定多数の人の前に立つ機会には、それをまざまざと感じさせられる。
どうせ私のことにみんな無関心なのだから、堂々と好きなことやったって誰も見てないだろうと、人前に立つ度に思う。
そんな中、私が関わりたいと思った人が私を受け入れてくれること、ましてや向こうから私と関わりたいと思ってくれる人はごく一部であり、そういう人たちと相思相愛になることは奇跡だと思う。
その人たちの多くは、私が私であることに価値を感じてくれているので、私が私らしくあることを応援してくれるし、顔色を伺うとむしろ嫌われる。
手は届かないけれど好かれたい人に執着するのではなく。
嫌われないように、無理をするのではなく。
のびのび、自分が好きなようにする。そんな生き方を尊重してくれるが1人でもいれば、大事にする。
その人たちをどれだけ大切に出来たか。
その人たちに気持ちをどれだけ伝えられたか。
その指標のひとつが、自分の誕生日なのだと思いますね。