ひいおばあちゃん
ふと思い出した。日本にいるひいおばあちゃんが亡くなった時のこと。
息子はひいおばあちゃんに二度会っているけれど、覚えてはいないだろう。それでも、私は何度となくひいおばあちゃんの写真を見せているし、何度となくスカイプで話もしてきたので、この人がひいおばあちゃん、というのはわかっている。
ひいおばあちゃんは、とっても長生きをした。最期は病院で亡くなった。亡くなる数日前に、スカイプで顔を見せ合った。ひいおばあちゃんは酸素マスクをしていたので、息子はちょっと怖がった。これが息子が見た最後のひいおばあちゃんだった。
娘は、ひいおばあちゃんに会うことは叶わなかった。スカイプで何度か顔を見てもらっていたけれど、やっぱり実際に会って触れて欲しかった。娘が見た最後のひいおばあちゃんも、酸素マスクを着けていた。
いつだったか、海外で暮らすということは、大切な人の大切な瞬間に立ち会えないという覚悟が必要、というようなことを目にしたことがあった。その時から覚悟を決めていた、いや、決めようと試みていた、が正しいかな。実際にその時が来て、覚悟なんてできてなかったし、試みも全く功を奏してなかった。ただただ、悲しかった。
ひいおばあちゃんはお星さんになったんだよ、お空の高~いところにいるんだよ、と言うと「飛行機に乗ってる」と、息子は言った。飛行機に乗ってどこに行くんだろう、と問うと「ここ」と答えた。
そうだね、ひいおばあちゃんは今や自由に行きたいところに行けるもんね。ここにも来てくれるよね。
物理的な距離は、心の距離で埋まる、のだね。