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10年越しの仲直り

「あんたとなんか、仲良くならなきゃ良かった」
喧嘩中、どれだけよぎっても、それだけは口にしちゃだめだ。そう思っていた言葉を突きつけられたときまず浮かんだのは、皮肉にも「こんな時でも気が合うんだなあ」だった。

中学3年生。3年間同じクラスで仲良くしてきた友達と、修学旅行の部屋決め、とかいうありがちな理由で喧嘩をした。当時の私はどうしていきなり、と裏切られたような思いだったが、今思うとマイペースでわがままな私はそれまでにもたくさん迷惑をかけてきて、優しい彼女が怒らないのを良い事にずいぶん甘えてしまっていた。
 数日でお互いにごめんね、と言い合って仲直りをしたものの気まずさは残り、高校でクラスが別れてからは話もしない日々が続いた。
 それまで脳天気に生きてきた私にとって人から拒絶される経験は初めてで、彼女との喧嘩は私の心に傷を残したが、人に甘えすぎないように意識するようになったのも、相手がどう思っているかをよく考えるようになったのもそれからだった。

 時間が流れ高3でふたたび同じクラスになった私たちは、共通の友人も交え一緒にお弁当を食べたり、一緒に教室を移動する関係に戻った。もともと仲が良かったこともあり一緒にいることは自然で、前のように何でも話し合って笑い合う関係になったが、お互い喧嘩の話に触れることはなかった。大学進学、卒業後も定期的に会ってはいたが、「また何か気に障ることをしてしまうのではないか、気をつけないと仲良くいられないのではないか」という恐れがあったし、「彼女にとって自分はそんなに大事な存在でも無いのだろうな」、とどこかで思っていた。

 そんな彼女から「結婚式で友人代表のスピーチをしてほしい」という連絡があったのが先週のことだ。最近は会う頻度も減っていたし、大学の友達と仲が良いのを知っていたから、正直かなり驚いた。けれど、私にお願いしてくれたことが嬉しくて、気持ちに応えたくて、是非やらせて欲しい、と返事をした。

 大事な結婚式のスピーチを頼んでくれるなんて。自分の事をどう思っているのか知ることを恐れてしまい、彼女が自分に向けてくれる友情を見ようとしてこなかったのかもしれない。
 あの喧嘩から10年少し。こんな風に、人との関係性が変わっていって、気持ちを受け取れることがあるのだなあ、とありがたい想いだ。誰かが自分に向けてくれる想いや愛情を、もっと素直に受け取っていかなくちゃ、と気づかされた。

 まずは何を言おうか日々悩んでいるが、再び友達と向かい合う機会を私のほうがプレゼントしてもらえたみたいだと思っている。式が終わったらまた飲みにでも行って、これまでできなかった話ができたらな、そんな風に思っている。

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