
納骨を終えて
先日、無事に納骨が終わりました。
在宅介護の現状など色々書きたいこと・自分の経験を生かしたいという気持ちがありましたが、それらを振り返る暇もないくらいに、姉と相続で揉めました。。。
まさか、我が家で!そして、相続手続きの大変なこと。。。
全てが初めてのことばかりで、色々情報はあるけれど、どれも検索上位となるSEO目的の記事ばかりで、あまり役に立たない薄っぺらい情報ばかり。
結局知りたいことへの明確な答えはなくて、自分でこれが正しいと信じてやるしかないんだなぁと。今回の選択が、税金的にお得なのか、損しているのかももはやわかりません・・・父亡き後も母がお金に困らずに生きていける相続をすることができました。
「母の生活や介護は関係ない」と言わんばかりに、自分の取り分をきっちりもらうのが当然だと主張し、揉めるくらいなら裁判起こすと姉は言っていました。
父と母は運命共同体、父の遺産は母の遺産と考えていた私には、衝撃の日々。
最後には「相続手続きでお金をもらったら縁を切る」と言い放った姉でした。
20年近く住んだマンションは「分不相応」と思っているらしい。一方で、新居探しは「自分で住みたいところを選べば良い」と突き放す。母もそれができるなら、自らやる。老いを日々感じながら生きている母をどう支えるのか、そういう視点での会話はなく、悲しみが止まりませんでした。
結局、現金は法定通り4/1、マンションは評価額をもとに4/1を算出し、その分を現金で姉には渡し、なんとか相続手続きは完了。姉は「売却したらもっと価値がある。自分は譲ってやった」という気持ちのよう。
司法書士や役所、銀行でやりとりした私へ「ありがとう」の言葉はありませんでした。
相続関係手続きは全て私が担当したので、せめてお墓選びは姉にとお願いし、それはやるといった姉でしたが・・・
相続手続きのための捺印を終えた後、「連絡してこないで」と言われ、その後、お墓探しのやりとりもなく・・・
待っていても何もしてくれないのでしょう。「連絡来るのを待っていた」「母がやりたいようにすればいい」と全て他人任せの言葉がくることもある程度想像できました。
「今年の夏は猛暑になるみたいだし、早く安置してあげた方が良いのでは?」という思いもあって、私の方で目星をつけていた樹木葬の永代供養できるお墓に母と見学。3つの候補の中から、お値段・法事の有無、担当者や墓地の雰囲気などを比較して決めました。
自宅から徒歩圏内・明瞭会計だったというのが決め手となりました。いつでも気軽にお墓参りできるので、最善のお墓に納骨できたと満足できました。
昨年6月下旬に父の癌が発覚してからもうすぐ1年。怒涛の1年でした。
石板には家名ではなく母の希望で「ありがとう」という文字を入れることにしました。
納骨し、石板を閉めた時、父が「ありがとう」といってくれたような気持ちとなりました。父はどんな思いで息を引き取ったのか、過酷な闘病期間の想いを推し量ることができません。私の選択をもどかしく感じたこともあったと思います。
お互いに「ありがとう」の気持ちを持てることの大変さを学ぶとともに、そう思えることが奇跡であり、有り難き幸せなのだなと思うのでした。