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シナリオ小話 13 冗談

17歳でデザイナ・構成作家としてデビューして、フリーのプランナー兼プロデューサー、そして二流の脚本家としてちょうど20年の商業作家生活を無事に送らせて頂きました「おおやぎ」が、2007年頃からMixi等で公開していた講座連載を再構成して掲載いたします。今も脚本・シナリオを学ばれるあらゆる層のかたがご笑覧くださるなら望外の幸せです。

第13回目の今回は、まさにシナリオの専門的な内容から離れて気楽にいきましょう。
――ということで、「冗談」を盛り込もう、といった内容です。

以前に専門学校でシナリオの授業を教えたり、同業の映像脚本家がシナリオ学校で教鞭をとっていた関係上、一時期、シナリオを学ぶ若いお人たちが「脚本を見てくれ」「添削・寸評をくれ」とのことで、しばしばボクの自宅へ脚本を送って来て下さったりしました。
もちろん勉強中の方々の脚本には様々なところで甘い部分や技法的に不足する部分が目立つわけですが、もう一つ気になっていたのが、いわゆる「冗談」「冗長な部分」「余裕」がないことでした。

描こうとする題材や、各場面で論じるべき会話の内容を決め、できるだけ時間の尺内に納まるように努力していることの現れでしょう。
しかし、登場人物に一言くらい冗談を言わせても、実際に映像の時間がそれほど長くなることはありませんから、映像の緩急といった視点からも、仕立て劇の中に冗談を盛り込んでいくようにしたいものです。

なお、ここで言う「冗談」「余裕」は、必ずしもギャグやジョークではありません。

焦っている人物が部屋を飛び出していくシーン。
悟(さとる)、手早くジャケットの上着をひっつかんで、
悟「い、行ってきます!」
 と、勢いよくドアを開いて走り出して行ってしまう。

このシーンに、ほんのひとつの「冗談」を放り込みますと効果的です。
たとえば――

悟、ドアノブを手でつかむがドアを開け損なって身体ごとドアにぶつかって鼻を打ってしまう。
悟「あだだ・・・。いい、行ってきます!」
 と、ドアを開いて走り出して行ってしまう。

古典的なドタバタですが、より焦っている感じも与えるし、ドラマが深刻になりすぎない。
もちろん、本当に深刻なシーンではこのような「冗談」を盛り込むべきではありませんから、ケースバイケースですね。

桜「お、おはよう!」
光江「あら桜さん、おそよう」

こんなのも一種の言葉遊びです。
「お早う」に対して「遅よう」なんて言葉はありませんが、おおよそ意味は通じます。普通に「早くもないわよ」とか「遅刻ね」と言うよりは、短い言葉にピリリと皮肉が効いて面白いかもしれません。正式な言葉ではないけれど、一種の冗談ですね。
そもそも、ボケ&ツッコミのような仕立ては、日本の関西独特のものではなく、古典英語劇にすら存在する典型的な「冗談」ですから、どなたが積極的に使ってもじゅうぶんに面白いと思います。

印象的だったのは、木村拓哉さん主演の人気ドラマ。(注 執筆当時)
木村拓哉さんのどこかスカした人物像にマッチするのか、彼はよく、慌ててマヌケな行動を取るヒロインに対して、「なんでそーなるよ!」とか「って、どーして!」とか突っ込んでいましたね。
これらを全て「視聴者を選ぶ関西のボケツッコミだから」という理由で排除してしまう必要はありません。冗談めかして面白かったはずですし、ドラマに生き生きとした魅力を与えたでしょう。

映画「沈黙の戦艦」などで有名なスティーブン・セガールや、「プロジェクトA」などのジャッキー・チェンの演じる、息つく暇ないアクションの随所にも、観客がニヤリとするほんの一挙手の笑いを誘うジョークが上手に混じっています。
「相手の顔面を殴ろうとしたがその頬には血が付いていたので、途中でやめて腹を蹴った」とか、「手に取ったリンゴを裏返してみると誰かの食べかけだったので顔をしかめて肩越しに捨てたところ、背後から襲いかかろうとした悪漢に当たった」だなんてものは、一見するとコメディ、下手をすると安いコントですが、長回しのアクションシーンやゆったりした流れから動きの多い流れへの転換としてきわめて上手に利用されています。

本来はこのようなチョイの動きは、演出家さんや監督さんが指示をされるのかもしれません。が、舞台での人物のドタバタとオーバーアクションを映像に持ち込んで成功した例もありますから、脚本家がこのような「冗談」に通じていては損だという道理はありません。大いに有利に働くでしょう。
「冗談」を繰り返すとドラマの転がりが悪くなりますが、ほんの一幕、あるいはごく一息、ひとつの「冗談」を放り込むことは、映像ドラマをずっと生き生きさせてくれると思います。
万が一これらがないならば、そのドラマは用件ばかりを早口で伝えて去っていくだけの丁稚みたいなものになります。
優れた営業マンは時節の挨拶もし、冗談も言い、お世辞も言い、そしてきっちりと営業をして帰っていくものです。

少し余談になりますが、この前にも脚本家の先輩と電話で話した際(※執筆当時)、東京都のある区の教育委員会から、道徳などを教える際の教材ビデオに関する依頼が来ている、とのことでした。教育委員会の話では、区の作成したビデオに対して「生徒がまったく興味を持たないし見ない」といった苦情が相次ぎ、学校が購入したがらないそうです。
先輩いわく、「それもそのはず。生徒と町のお年寄りとの会話にしたって、実に教育ビデオらしい生真面目な問答になっていて、エンターテインメントの欠けらもなくドラマですらない。大人でもうんざりの余裕のない議論映像なんか、ましてや子供が興味を持つものか」と。
同じ風土の歴史を紹介するビデオでも、秀作と言われる物には、生き生きとした会話の様子や、人々が交わし合う冗談、少々滑稽で優しいナレーションといったものがあるそうです。行間であり、冗長な隙間であり、「冗談」といったものですね。

ボクたち映像脚本家も、評論文でも書いているつもりで作劇した生真面目な脚本には誰もがうんざりである、というこの事実を胸に留めなければなりません。


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