すべての暴力の母
『ベイルートでの爆発は「すべての爆弾の母」よりも強力だった』
きのこ雲の写真を観ると、それは”原子爆弾”を連想させ、苦しくてならない。
切断された家畜の死体や肉片の写真を観ると、それは”殺人現場”や、”爆発事故”を連想させ、苦しくてならない。
”すべての暴力の母”は、何処に存在しているのだろうか。
すべての暴力を産み出している母は、何処にいるのか。
「爆弾」とは何か。それは「爆発による熱や衝撃などによって対象とする生物や物体を殺傷、破壊するための兵器である。」
「爆発による」を除くと「熱や衝撃などによって対象とする生物や物体を殺傷、破壊するための兵器である。」となる。
では「熱や衝撃などによって対象とする生物を殺傷、破壊するための兵器」は、何処にあるのか。
(HNA(ハイ・ノース・アライアンス)発行 "The International Harpoon"(1995年)からの訳。 23-Feb-2002。
原題:"UK Myth of Slaughterhouse Paradise Debunked")
1991年、当時イギリスの農業大臣だったジョン・ガマー(John Gummer)は、イギリスの屠殺場において、もしも苦痛を感じずに死んでいく家畜が7割にすぎないなら事態を容認できないと語った。
これは、捕鯨に対してイギリスの屠殺場と同等の基準を求め、捕鯨における捕殺法を攻撃する言動の一部であった。
だが、近年のいくつかの報告書を読めば、ガマーは自国における家畜の屠殺の実態に対して、現実とはかけ離れた楽観視をしているようである。
1992年、ブリストル大学のサイモン・ケスティン(Simon Kestin)はIWCの人道捕殺ワークショップにおいて、イギリスで屠殺されている子牛の53%はきちんと気絶させられておらず、血抜きの段階でも意識があった可能性があると報告した。
1993年にブリストル大学の他の2名の研究者(M. Anil と J. McKinstry)はイングランドとウェールズでの豚の屠殺を実地に検分した。
大多数の屠殺場において彼らは、豚に衝撃を与えて気絶させる段階で体がきちんと固定されておらず、そのせいもあって、15.6%以上の豚が再度衝撃を与える処理をされねばならず、20.5%の豚が屠殺の時点で意識を回復している徴候が見られた。
ガマーにとっては慰めにもならないが、イギリスの屠殺場の実情はヨーロッパの他の多くの国々からの同様の報告と比較しても例外ではない。
デンマークの屠殺場では、気絶させるための家畜銃を当てる箇所が不適切で、結果として打撃箇所が家畜の脳を外れるのは珍しいことではない。
1987年のドイツでの調査では、豚を気絶させるための器具の当て場所が75%のケースで不適当であり、結果としてかなりの苦痛によって豚の体が麻痺していると思われる。
屠殺場の通常の状況においては、気絶した豚と単に体が麻痺して動かない豚の区別はつかず、したがって、気絶することなく吊り下げられ、血を抜かれ、熱湯に浸けられる豚がいることになるだろう。
人間の間違いは時々家畜をきちんと気絶させない原因となるが、家畜の気絶のためのすべての方法にはそれぞれ固有の欠点がある中で、経済的理由もまた、理想的な屠殺の実行を犠牲にする原因になっている。
電気ショックで家畜を効果的に気絶させるには高い電圧が必要だが、電圧が高すぎても家畜は痙攣で凶暴に暴れ、筋肉に出血を起こしたり骨を損傷したりして、肉の質を落とすことになる。
また、高い電圧では電極近くの皮膚が焦げ、その結果、脳へ流れる電流の効果を妨げる。
電気についてのこれらの理由もあって、多くの屠殺場では二酸化炭素を使って豚の意識を失わせている。
だがこの方法にも問題があり、電気ショックを好むオランダでは事実上禁止されている。
ガスにさらされた最初の10−15秒の間は豚はおとなしくなるが、その後ストレスの徴候を見せ始め、やがて極度に興奮する。
この興奮状態が無意識の状態で起こっていると指摘する人もいるが、豚は凶暴に脚でキックするため、ガス室へ運ぶコンベアーのベルトを損傷する。
最後に言っておくが、ジョン・ガマーはイギリスの屠殺場で行なわれている儀式的屠殺のことを考慮にいれないで、捕鯨に対して高度の基準を突きつけている。
イギリスでは、ユダヤ教やイスラム教の宗教儀式に供された動物は、完全に意識がある状態で殺される。
だが、ノルウェーでは宗教儀式での動物の屠殺は動物福祉法で禁止されているのである。
僕はヴィーガンになる前に、家畜が生きている状態で解体されてゆくなんて、ちっとも知らなかったし、その理由が、”肉の質を落とす”ことを避けるためであることも、知らなかった。
知ろうとすることもなかった。
僕はまったく、それらについて、無関心であった。
”すべての暴力の母”は、我々の内に、存在している。
ではその母は、一体だれの”なか”に、暴力を産み出すのか。
勿論、それは、わたしたちの、なかである。
僕は、その我が子が、実際に僕の愛する家族を殺す未来を観た。
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