エンジンのかけ方
子どもにとって、「学びのエンジン」ってどこにあるのだろう。
「おもしろそう・やってみたい」という知的好奇心
「やらなきゃ」という義務感
「やれ」と言われたから」という強制
また、その「エンジンのかけ方は?」「子供自身がかけて欲しいけど…」と思うことがあります。皆さんのお考えもお聞かせ願います。
日々に算数の授業の中。ありがたいことに、本校は支援員さんが多く、私の教室にも来てくださいます。
子供たちの中には、算数が苦手な子・初動が遅い子・表面的にはやっていないように見えるけど、話を聞くと頭の中は思考している子がいます。
算数が苦手な子にとっては、声をかけてもらい、ヒントがもらえると安心できるでしょう。しかし、それは大人である必要があるでしょうか?何でもかんでも、気づいた大人が声をかけていたら、「待ちの人間」になってしまいます。
初動が遅い子は、やろうとしているんです。ちょっと待っていれば「エンジン」がかかるのに、無理やり大人が「エンジン」をかけていいのでしょうか。こういう子もまた、「待ちの人間」になってしまうような気がします。
頭の中では思考している子にとって、大人の声は、邪魔になりかねません。すでに「エンジン」がかかっているのに、さらにキーを回すと壊れてしまいますよね。
恥ずかしながら、今年のクラスの子たちの「エンジンのかけ方」の見分け方には、本当に苦労しました。しかし、12月ごろから、見極めができるようになったと自負しています。
この点については、支援員さんともっと話さなければと思っています。が、時間がありません。支援員さんも、良かれと思って声をかけてくださっているのに、「タイミング・・・」と思ってしまうことがあります。
やはり、学校は「チーム」です。今回話題に挙げた「エンジンのかけ方」についても、もっと話したり共有したりする場が欲しいなと思います。
話がそれますが、「本来時間をかけたいものに、もっと時間がかけられたらな」とも思いました。