見出し画像

本質って何?

この20年くらいでしょうか。大学受験のために英語を勉強するときのキーワードの一つとなっているものに「英語の本質」あるいは「英文法の本質」があります。

明示的な文法学習は、学習者が納得できることが重要です。学習者が納得できる瞬間につかみ取ったものこそが、「本質」ということになるのでしょう。学習者にとっての「本質」とは「英文法のしくみが理解できる地点」のようなものであって、「本質」のありようには実は個人差があります。もちろん、ここでの「本質」は本来の意味での本質ではありません。英文法の本質を本当に掴みたければ大学で言語学を専攻すればいいのです。

実際に大学で言語学を専攻すると、参考書に書いてあったことが最新の英文法でも何でもないことに気づきます。実際、例えば私がアクセントの法則として提示しているもののベースは半世紀くらい前の理論です。英文法や英単語をイメージで捉える手法も、その背景となる理論は40年近く前から整備されてきたものです。これは決して悪い事ではありません。言語理論というのは純粋に言語の本質を追究し、さらにはその言語を使う人間の精神の本質を探求するものです。しかし、教育文法とか学習文法というものは、学習者がその言語を学び、使えるようになるのを支援するためのものです。両者は目的が違うのですから、最新の言語理論を駆使した英文法が最も学びやすい英文法とは、必ずしもならないのです。

「本質」と似たキーワードに「原理」がありますが、これも適切な原理の抽象度には個人差があります。抽象度の高い原理の方が暗記すべき知識量は少なくなりますが、その分文脈を切り捨てているので、理解が難しくなります。抽象度の低い原理は理解しやすい反面、暗記すべき知識量が増大します。こうした現状があるので、学習参考書売場や語学書売場にすでに多くの文法書が並んでいても、現実の個人差すべてに対応するのにはまだまだ不十分なのです。そしてその不十分さを補うのが、学習者同士、および学習者と教師との対話を通じた学習なのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?