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原理至上主義も悪くない

別に政治や宗教が絡むお話ではありません。外国語学習のお話です。

日本語を母語とする人が、日常生活で英語を使うことがほとんどない状況で英語を学ぶ場合のお話です。この場合、授業などで英語を使う機会を持たない限り、学んだ英語を、少なくとも話す機会がないことになります。スピーキングは言語の習得を促進させる行為・活動です。ことばを使って話していく過程でことばを記憶に定着させていくことが可能になります。この場合は、とりあえず丸暗記しておいて、使っていく中でそのしくみや働きを実感する、ということも期待できます。

しかし、そうした機会に乏しい場合はどうしたらよいでしょうか。この機会を無理やりにでも作るべきだという主張と、いや、無理に設けなくてもよいという主張との対立が現在の英語教育論争の論点の1つとなっています。議論は議論としておいておくこととして、現状としてはやはり、覚えても使う機会がないこともめずらしくありません。いろいろな人と出会って語り合うためにことばを学ぼうとする人にはこうした状況は苦痛でしかありませんが、ことばそのものを興味の対象として学んでみようかな、という好奇心がある人であれば、それはそれで楽しく学べるのではないか、とも思うのです。

やがて訪れるかもしれない、高度な英語力が必要な状況に備えて、今は今で文法や語彙をしっかり学んでいく。母語である日本語と比べながら、英語のしくみを捉え、しくみを捉えることができた英語から覚えていく。これはこれで意義のある学びです。これで身につくのは、現行の大学入試や4技能5領域の英語を実際に使う場合の基盤となる知識です。ただし、ことばのしくみを支える原理の理解は決して生やさしいものではありません。時間をかけて丁寧に学んでいけば、個人差はあるにせよ成果が上げられると思いますが、ことばを分析的に捉えることに興味が湧いてきて、実際に分析することに頭が慣れてくるまでがつらいと感じる人もいます。文法問題集を流しているだけの学習では、こうした学びは得られません。気に入った文法書との出会いや、おもしろい授業をしてくれる先生との出会いが、こうしたことばの学びには不可欠です。

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