パラグラフ・リーディングに対する誤解
以前、このような記事を書きました。
今や「パラリー」と略されるまでに定着しているパラグラフ・リーディングですが、やはり速読法と捉えられていることが多いようです。確かに、1990年代に入試英文の長文化に伴い、長文対策として受験英語にも広まっていったのがパラグラフ・リーディングで、1文ずつ読んでいては間に合わないと不安を抱いていた受験生に大きな影響を与えました。ただ、塾や予備校は営利目的で運営しているわけで、出版社にしても売るために本を作るわけです。このためそれまでの読解法との差別化をして売り出していくのが高度資本主義社会の必然です。その結果、1文ごとの理解を重視する「構文」と、パラグラフごとの理解を重視する「パラリー」が相反するものであるかのように受け入れられていったのです。
しかしながら、「構文」とは文理解のために用いる知識体系の一部であり、それだけでは十分な文理解はできませんし、文理解だけで文章理解ができるわけでもありません。一方の「パラリー」も、パラグラフという単位に着目した読み方にすぎず、パラグラフの理解にはパラグラフを構成する文の理解が必要です。そして、文理解に際して文より小さな単位である語がどのように配列されているのかを学んで文理解に活かすのが「構文」であるように、「パラリー」に際してもどのように文が配列されてパラグラフが成立するのかを知る必要があります。こうした知識を得るためにはパラグラフのなかにある文を一つ一つ理解していく必要があります。こうすることで文章のより深い理解につながっていきます。つまり、パラグラフ・リーディングもまた、精読の手段のひとつなのです。たとえ下線部和訳問題であっても、下線部を含むパラグラフの文脈的な縛りによって訳語が決定することもあります。学習の手順としてはさまざまな方法が考えられますが、パラグラフのしくみを学ぶことは英語の文章を理解する上では構文の知識を学ぶことと同様に重要なのは間違いありません。文法能力開発で「英文理解の実践Ⅰ・Ⅱ」という教材を開発したのもそのためです。