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書くか、書かないか

昭和末期のこと。難関高校受験に覚醒した同級生に「お前、書いてちゃ駄目なんだよ、書いてるから覚えられないんだよ」と言われました。

これはある一面では真実です。英単語を見てとりあえずの意味がわかるようにするには、英単語を高頻度で「見る」ことが有効です。雑でもいいから繰り返すことが、この場合は重要なのです。

見てわかればよいのであれば、このやり方で十分です。しかし、文を理解したり書いて表現したりする場合には、単語をどう用いるのかという知識が必要になります。文の中でどう用いるのかを理解するには文を観察することが大切で、文全体に意識を向ける手段として文を筆写し、その構造を分析する方法が有効です。ここに「紙に書く」という学習の有効性が明らかになります。

文法については、読み書きに使えなければまったく意味を成さない知識体系ですから、文全体に意識を向けることが語彙以上に必要になります。これを眺めているだけで実現するには相当な分量が必要です。この相当な分量に触れることに重点を置いた学習が多読です。数か月で実用段階に到達しなければならない「普通の人の受験英語」においては、語彙や文法の分析的な学習は不可欠で、そのためには「書く」という行為が極めて重要な役割を担っています。

書くことを積極的に実践してきた受験生と、そうでない受験生の差が、すでにかなり広がっています。そして、そろそろ、この差を埋めるのが困難な時期にさしかかっています。

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