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原理の理解と例文の暗記

少し前の大学受験英語の世界、そうですね、1990年代ですかね、そのころは「暗記か理解か」みたいな二者択一が求められた時代でした。受験生も「あの先生は理解派、この先生は暗記派」などと分類していました。このような対立の図式はそもそも成り立つのか、というのが、今日のお話です。

結論から言うと、理解か暗記かというのは不毛な対立です。不毛だから今時こんなこと対立を煽る人もいないのです。自分の脳内に言語知識の記憶がなければ、言語知識は使えません。記憶のためには何らかの方法で覚えなければなりません。その覚え方の一つに、文法の原理を理解し、その原理を用いて分析しながら覚えていくという方法があるのです。十代後半以降の、いわゆる成人学習者の場合、こうした分析的な記憶が合理的であることが多いのはおそらく確かなのだと思います。ただし、理解しただけで覚えたことになるかというと、そうもいかないのが実情です。日本にいる英語学習者のように、目標言語を日常的に使うことがない環境では、意図的な暗記がどうしても必要になる人が多いと言えます。このときの暗記の単位が「文」となります。これが例文暗記の必要性ということになります。

私個人の授業のやり方で言うと、原理の理解に授業時間の大半を割く場合と、その理解した知識の運用に時間を割く場合と、そして、知識の暗記に時間を割く場合とがあります。どこに力点を置くかは、生徒さんの学習状況や、予備校や塾のカリキュラムなどによります。しかし、結局は覚えることを意図的に続けている生徒さんが着実に英語の基礎を固めていくと言えます。私はそれを支援しているに過ぎないと考えています。

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