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「自分の課題と向き合う」ー不登校体験記(7)

こんにちは、MASAYAです!

今回は、徳島県出身の写真家・長垣夏希さんにお話を伺いました。

長垣さんは、自身の不登校経験からひきこもりや不登校をテーマに活動されています。

今回のブログ執筆にあたってはちょっとした経緯があり、というのも長垣さんから「田舎と都会」というテーマで石川県から京都府に出てきた私を被写体にしたいという依頼をいただいたため、その際に私からも長垣さんにインタビューを行わせていただきました。

さて、この記事では長垣さんの「①不登校のきっかけ」から「②変化と挑戦」「③現在と転機」についてまとめさせていただきました。

長垣さん、ご協力ありがとうございました。

それでは、ぜひ最後までお読みください!

①長垣さんの不登校のきっかけ

長垣さんが不登校になったのは、中学2年生のときだったそうです。

しかし、学校に行きたくない、という思いはその前からあったと話します。

学校に対する思いについて長垣さんは、

「学校に行きたくないという思いは、幼稚園のときから持っていたと思います。

人見知りで、外であまり話せないこともあり空間になじめないと感じていました。

そのような思いを持ち続けたまま学校に通い続けていましたが、小学3年生の頃には担任の先生と合わず、学校に行くと腹痛や吐き気がおきるようになりました。

学校を休もうと思っても、親や周りは『学校に行くのが当たり前』という考えが強くて、休むことが許されませんでした。

そうして無理やり通い続けていましたが、中学2年生の夏休みが明けたときから学校に行かなくなりました。」

と語ります。

中学2年生で不登校になった後も、授業には参加できませんでしたが、吹奏楽の部活動には行けていたそうです。

また、中学3年生になって部活を引退した後は写真を撮ってそれをブログに投稿するようになったそうです。

ネット上では学校に行けていないことを隠すことができ、上手だと褒められることもあったと話します。

写真を撮ることは、長垣さんにとって目の前の現実を忘れることができる大切な趣味だったのではないでしょうか。

この時期について長垣さんは、

「学校に行かないことで家族との関係もあまり良くありませんでしたが、飼っている犬の『そらお』だけが自分を否定せずに寄り添ってくれていました。

夜に孤独を感じているときには、好きだったお笑い芸人のラジオを聞いていました。夜に起きている人がいるという感覚がとても救いになりました。」

と話してくださいました。

②長垣さんの変化と挑戦

中学を卒業した後は全日制の高校に進学しましたが、入学式と次の日だけ行ってその後は行けなくなったそうです。

長垣さんはその後、通信制高校に転校しました。

通信制高校に転校して、はじめは通ってみようと考えたそうですが、乗り慣れていない電車で通学しなければいけなかったことや、学校には荒れている子が多くて馴染めなかったことからあまり行けなかったと話します。

家で課題をして単位を取得し高校を卒業することができましたが、卒業後の進路も就職も決まっておらず、引きこもりがちになったそうです。

趣味だった写真を撮ることもできないほど精神的に落ち込んでいた時期もあり、そのような浮き沈みのある生活が5年ほど続いたころ、長垣さんは都会に行きたいという思いを抱き始めます。

その変化について長垣さんは、

「高校を卒業してしばらく実家で過ごしていると、次第にその生活に飽きてきました。

そのころは、家族関係も悪くて、実家を出て1人暮らしをしたいと考えていました。

小さい頃から、都会に対する憧れがあり、大阪に出て1人暮らしをしようと思い立って色々な選択肢を考えました。

例えば、私はもともとお笑いが好きで、テレビ業界に憧れがありましたが、体力的に難しいと思い断念。

自分の中でずっとカメラに対して引っかかる思いがありました。テレビのカメラマンも考えましたが、それも体力的に難しいと思いました。

そこから自分のペースを考えたときに、写真の専門学校を見つけ、そこに行くことを決めます。

それが24歳のころだったと思います。そこからいきなり大阪に出ることはできないと思ったので、1年間アルバイトや規則正しい生活を身につける練習をすることにしました。

アルバイトは、保育園の清掃をやっていました。1人でできたのでとても気が楽でした。

また、バイトが休みの日には再び写真を撮ったりするようにもなりました。

そうして1年間練習をして、25歳の時に大阪の日本写真映像専門学校に入学し、1人暮らしを始めました。」

とお話しいただきました。

大阪に出るための1年間の練習期間は、長垣さんにとって自分なりの課題に向けて努力をする時間だったと思います。

このような時間があったことで長垣さんが大阪に出て1人暮らしを始めたときに大きな自信になったのではないでしょうか。

③長垣さんの現在と転機

2023年に日本写真映像専門学校を卒業した長垣さんは、現在は大阪の写真スタジオで、フォトグラファーとして活躍されています。

これまでの過去を振り返っていただくと長垣さんは、

「私にとって大阪に来たことが転機だったと思います。

地元にいたころは、ずっと将来への不安があり焦っていました。

しかし、専門学校に入り自分の道が具体的に見えてからは、その焦りもなくなっていったと思います。

専門学校には、周りにも私と同じように様々な背景をもつ人がいました。

周りの人たちは、私の不登校やひきこもりの経験をいい意味で笑ってくれたんです。

そのような仲間に出会えたことで、自分の不登校、引きこもり経験は写真作家として無くてはならない経験だと考えるようになりました。」

とお話しいただきました。

さらに写真を通して、地元の徳島県への考えも変わったそうです。

地元の徳島県について長垣さんは、

「現在、田舎と都会というテーマを持って作品を撮っています。

不登校だったころ、近所の目が気になって外に出ずらかったりなど、田舎特有の閉塞感を感じていました。

しかし今は、写真を通して自分の過去や周りの人たちと向き合うことができています。」

とお話しくださいました。

最後にー長垣さんのお話を聞いて

長垣さんが不登校になったころは、不登校へのイメージが今よりも悪く、学校にも家にも居場所がなかったそうです。

現在は、長垣さんが苦しんでいた時よりも少し時間が進んで、世の中の不登校についての理解も深まり、フリースクールなどの学校以外の選択肢も広まってきたと感じます。

長垣さんの写真作家としての活動もそうですが、私のブログ活動も少しでも不登校やフリースクールへの理解を高めるものになればうれしいです。

最後までお読みいただきありがとうございました。

長垣さん、改めてご協力ありがとうございました。

長垣さんのインスタグラム:ここから長垣さんの作品を見ることができます!

不登校についてのご質問等ありましたら、お気軽にお問い合わせフォームよりご連絡ください。

記事についてのご意見、ご感想などもお待ちしております。

これからもよろしくお願いします!


著者紹介
MASAYA
石川県野々市市を拠点として活動するフリースクール「BASE」のアルバイトスタッフ。小学校5年生のときに不登校になり引きこもりやうつ症状などを経験した。中学生のころにフリースクールを利用しながら社会復帰をした。通信制高校を卒業後、現在は大学で心理学を学んでおり教育の道を志している。

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