おっきな視点。ちっちゃい視点。
こんにちは。
以前は違う名前でnoteをさせて頂いていたのですが、心機一転久々に始めることにしました。どうぞよろしくお願いします。
万華鏡というのは、色々な見え方の模様が詰まった筒だと思っています。
ひとつのモノも、見方で色々変わる。
それが伝えられたら、と思っています。
***
ニュースを見ていて、もどかしいな、と最近よく思う。
視点が分かりづらいな、と思う。
今、コロナで日常が色々うまく回らない。
それはきっと、誰もがそう。
わたしだって、友人たちも、親類も、地域の方々を見ても
それはそうなのだ。
なのに、「誰が一番大変か」を競っているように思えてしまう。
コロナに罹った人が一番大変、だろうか。
コロナで亡くなった人が一番大変、だろうか。
わたしが思うのは
ニュースも新聞も「誰の視点での意見か」をはっきりするべきだ。
例えば「子どもがいる家庭は、大変」というのは、当事者からすればそう。
「給与が払われないのは、辛い」というのも、当事者からすればそう。
「仕事で出かけるのは、不安」というのも、当事者からすればそう。
どれも真実。
どれが間違っているとか、おかしいとか、ないはず。秤にかけるべきでない。
事実は事実。評価はいらない。
「AさんがBと言っています」
それで終わりなはずなのに、テレビ番組自体や視聴者などが評価をしてしまう。
それは良くないことだと思う。
国として、どういう方向性でコロナの対策をするか、というのと
個人がそれぞれでどうすべきか、は違うはずだ。
(仮定としてだが)国は「高齢者や持病のある国民を犠牲にしても、経済活動の維持をすべき」と考えたとして
高齢者や持病のある国民は「冗談じゃない、経済活動より命の方が守られるべきだ」と思うかもしれない。
これは相反するけれど、国は経済や健康やいろんなことを秤にかけてバランスをとる(べき)で、個々とは相入れない。
当たり前だ。
国民全員が守られる対策など、あろうはずがない。
誰かが犠牲になったり、誰かが得をしたりする。
それは仕方のないこと。残念だが、やむを得ない。
だから、「誰の視点で伝えるか」「誰の視点で伝えているのか」は明確にすべきだ。
はっきりしない情報が多いのは、国民を馬鹿にしているように思うのだけれど。
誰の視点を多く伝えるか、が
そのメディアの「強く言いたい情報」の偏りを表しているのだろう。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?